作中で、ジャムおじさんのパン工場で生まれたばかりのアンパンマンが「僕はなんで生まれたんだろう」と生きる意味を模索しながら空を飛ぶシーンがあります。ヒーローにしては深い悩みですが、これが後に有名な「アンパンマンのマーチ」の冒頭の歌詞に繋がります。

幼児向けアニメのテーマ曲にしてはあまりに哲学的な歌詞ですが、ここにも大人と子供とを区別しない、彼の制作スタンスが見て取れます。

スーパーマンを”手本”に

ここで疑問が出てきます。なぜ、やなせたかしは、一風変わったアンパンマンをというキャラクターを作ったのか。なぜアンパンマンを、巨悪と戦うかっこいいヒーローとして描かなかったのでしょうか。

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結論。アンパンマンは、スーパーマンの意匠を借りつつ、スーパーマンのアンチテーゼとして生まれたからです。どういうことか、順を追ってお話します。

実は、先ほどお話した『アゴヒゲの好きな魔女』の中には、アンパンマンのプロトタイプといえる「怪傑ゼロ」という話が収められています。

このメルヘンに登場する怪傑ゼロは、のっぺらぼうのマスクにスーパーマンと同じような8頭身の背格好です。アンパンマンと異なり、すらっとしていますが、彼の行動様式はスーパーマンと異なり、誰かと戦ったりしません。困った人をただ助けるだけ。作中では、19歳のデパートガールの困りごとを解決します。アンパンマン同様戦わないヒーローです。

なにより注目すべきは作中で、怪傑ゼロ自身が、彼の目からすると自己陶酔的に戦うスーパーマンやバットマンを批判していることです。

戦争を経験したやなせたかしは、正義が戦前と戦後で反転する様を目の当たりにしました。「怪傑ゼロ」では、自分たちの正義に疑問を抱かず、悪者を暴力で叩きのめす「正義漢=アメコミヒーロー」に対する違和感を描きます。

この怪傑ゼロから1年後に、先述した「月刊誌PHP」で中年のアンパンマンが登場するのです。こちらの作品内にもスーパーマンやバットマンが登場し、アンパンマンを仲間はずれにしている描写が描かれているのです。