勧善懲悪に対する危うさ

スーパーマンのアニメーションは1940年代にアメリカで完成し、戦後の日本に入ってきました。「ウルトラマン」も「仮面ライダー」も間違いなくスーパーマンの影響を受けております。「スーパーマン」というキャラクターはヒーローものの原型ともいえる素晴らしい発明でした。やなせたかしも、スーパーマンの原作者であるジェリー・シーゲルとジョー・シャスターを手塚治虫と並び、自分が尊敬する漫画家として書籍『まんが学校』(立川談志共著)のなかでリストアップしています。

その一方で、やなせたかしはスーパーマンの物語の構造、つまりスーパーマン的な正義に対して危うさに気づいていました。アンパンマンは、スーパーマンへの尊敬と批評とを同時に込めた、ある種のパロディーとして誕生したのです。

では、そのアンパンマンにどんな思いを込めたのか。ヒントとなるのは、やなせたかしが編集長として立ち上げた雑誌『詩とメルヘン』です。名前の通り詩や絵本、絵をふんだんに掲載したものでした。ですが、当時の詩壇からは完全に無視されました。雑誌が発売された1970年代は、イデオロギーの時代で、詩の世界も思想にあふれていたからです。

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これに対し、やなせたかしは、詩や叙情はイデオロギーなどではなく、心の底から出てくることばなんだという信念を持っていました。

『詩とメルヘン』は、当時の男性層からはあまり受け入れられなかった一方、現在も活躍している多くの女性作家や編集者の多くが少女時代に『詩とメルヘン』を愛読していました。その一人が、「あんぱん」の脚本家・中園ミホさんです。

根底にあるのはやさしさ

やなせたかしは同時代の男性では珍しいフェミニンな感性を持っていて、男性的ないわゆるマッチョな考えに懐疑的だったのでしょう。そういう意味では、時代を半世紀近く先取りしていて、ようやく時代が彼に追いついたと言えます。

これこそ、アンパンマンが子供やその保護者から支持され続けている理由だと私は考えています。