この線路の上を、私は過去2回、確かに列車で通過したはずなのだが、復旧時にはこれらの線路を全部取り替えなければならないだろう。錆び付いた線路の間からまっすぐ伸びている低木が、被災当時のまま長らく放置されていることを物語っている。

線路の間から1本の低木が生えている(段~坂本)
被災した線路が放置されている(段~坂本)
宙づりになって歪んだ線路(段~坂本)

初めて肥薩線に乗った31年前、急行列車は1日に7往復走っていた

 私が初めて肥薩線に乗った31年前(平成6年)には、この区間には国鉄時代以来の古びた急行列車が1日7往復走っていた。中には宮崎へ直通する列車もあって、南九州の内陸を横断する路線としてそれなりに重要な使命を担っていた。

 一方、7年前の平成30年に乗ったときは、宮崎直通の列車は姿を消した代わりに、観光客向けに改装された特急列車が1日4往復設定されていた。私が乗ったのも、熊本発吉松行きの特急「いさぶろう」だった。

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被災前に肥薩線を走っていた特急「いさぶろう」(新八代。平成30年撮影)

 7年前の「いさぶろう」の肥薩線内最初の停車駅だった坂本は、熊本豪雨で駅構内が水没する甚大な被害を受けた。

 明治41(1908)年の開業当時に建てられたとされる木造駅舎は何とか損壊を免れ、代行タクシーの発着場所にもなっているが、駅構内は線路が撤去されてホームの高さまで埋め立てられ、復興工事のための資材置き場になっている。

明治41(1908)年築の坂本駅舎。被災したが何とか生き残っている
駅の裏手から見た坂本駅。構内は埋め立てられ、駅の先は仮設道路になっている
ほぼ同じ角度から撮った被災前の坂本駅(平成30年撮影)。乗っているのは特急「いさぶろう」

 ホーム上や駅の裏手から駅構内を眺めると、ここに「いさぶろう」が停車したときのことを思い出す。