大正3(1914)年に建てられた駅舎では、列車が運休中の現在も観光案内所が営業しているが、この駅がそんな観光列車で賑わうシーンを、8年後にまた見ることができるだろうか。

大正3(1914)年に建てられた一勝地駅舎
一勝地駅舎の待合室。運休中もホームには自由に立ち入れる

人吉は交通の要衝として復活するか?

 復旧対象外として廃止されることになった那良口駅の先で、これまた濁流に流された球磨川第二橋梁があった地点から、肥薩線の線路が国道側に戻ってくる。

 すぐ近くにある渡駅は駅前広場が代行タクシー乗り場になっているが、駅舎は熊本豪雨での被災後に解体されてしまい現存しない。

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渡駅ホーム。ホーム上の通信用電柱は根元から折れて倒壊していた
平成30(2018)年当時の渡駅ホーム。電柱がホームの真ん中にそびえ立っている

 ここまで来るともう人吉の生活圏内で、市街地に入るとまもなく人吉駅前に到着。人吉温泉の玄関駅であり、ここから肥薩線はさらに、日本三大車窓展望の一つとも言われる雄大な車窓で知られる山岳区間(通称「山線」)へと続く。

 第3セクターのくま川鉄道もここから分岐しており、熊本県南部の内陸部の交通の要衝である。

JR線の人吉駅舎。昭和52(1977)年に完成した3代目

 だが、大きな駅舎に入るとJRのきっぷ売り場は営業しているが、改札口を通ってホームに立ち入ることはできない。肥薩線だけでなくくま川鉄道も未だに部分運休が続いており、この5年間、旅客列車が発着していないのだ。

跨線橋から人吉駅全景を見渡す。ホームに立ち入ることはできない
平成30(2018)年当時の人吉駅。右は豪華クルーズ列車「ななつ星 in 九州」
人吉駅に停車する急行「くまがわ」(平成6年撮影)。当時の肥薩線は急行列車天国だった

 鉄道での復旧が合意された区間は、八代からこの人吉までの「川線」のみである。この先、吉松までの「山線」区間は代行バスやタクシー輸送が全く行われておらず、その行く末もまだ決まっていない。

 ただ、鉄道旅行者にとって陸の孤島のようになってしまっている人吉までの路線が復活し、運休前のように観光列車が行き交うほどの賑わいが見られれば、観光資源としての「山線」の存在感が高まっていくことも期待できる。

 8年後はまだまだ先の話だが、まずは「川線」を再び列車で往来できる日が来ることを、気長に祈りたい。

写真=小牟田哲彦

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