「よし、駅に帰ろう」と思ったら…

 ……と、そんなわけで浦佐駅のナゾも解けた。この時期の魚沼盆地はフェーン現象のせいなのか、異様なまでに暑い。日影もないような田んぼの中を歩いていたら、いつ行き倒れたっておかしくない。とっとと新幹線に乗るとしよう……。

 

 と言いたいところだが、これではまだまだ片手落ち。本来の浦佐駅は、もともと角さんの像がある東口ではなく、西口が正面だった。東口は新幹線乗り入れにあわせて新たに整備されたもので、もとは西口側にしか駅舎がなかったほどなのだ。

 だから、角さんの像を眺めて満足している場合ではない。西口、つまり「毘沙門天口」を歩かねばならぬ。そこに、本来の浦佐の町の中心があるに違いないのだ。

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広々とした駅前ロータリーと古い路地を抜けると…

 そういうわけで、毘沙門天口に向かう。駅前の広々としたロータリー。その向こう側から少し路地に分け入って進んでゆく。

 

 するとすぐに昭和の面影を感じる商店街の残滓のような一角が見えてくる。さらにその中の路地を抜けたところには、浦佐毘沙門堂という立派なお堂が待っていた。「毘沙門天口」の名は、この毘沙門堂から頂いたものなのだ。

 

 そして、毘沙門堂の目の前の小さな商店街エリア。ここが本来の昔からの浦佐の町の中心だ。

 

 裸の男たちが繰り広げる「裸押合大祭」という奇祭が知られる毘沙門堂の門前に、ちょうどそこを通っていた三国街道の宿場町が設けられ、小さな市街地が形成された。これが、浦佐の町のはじまりだった。