「自分にとってバンド活動は、音楽との戦いというよりも、ジストニアとの戦いの方が比重が大きかったです」
椎名林檎や星野源などにも影響を与えたと言われている、1990年代から2000年代初頭のライブシーンに現れた伝説的バンドの「NUMBER GIRL(ナンバーガール)」。前衛的な歌詞と唯一無二のギタースタイルは、瞬く間に若者たちを熱中させた。
そのNUMBER GIRLや「ZAZEN BOYS(ザゼンボーイズ)」でドラムを担当していたアヒト・イナザワさん(52)は、この3月に自身のXで「ジストニア悪化の為すべてのドラム活動を中止致します。苦渋の決断ですが、残念ながらこれが現実でございます」と投稿した。
人気絶頂期に解散した伝説的なバンドの一員として、そして解散以降も音楽と向き合ってきたアヒトさんを襲った難病とされる「ジストニア」とはどんな病気なのか。現在の胸中とともにインタビューした。
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福岡と同じことをしていたのに、東京ではなぜか…
――そもそも、アヒトさんがドラムを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
アヒト・イナザワさん(以下、アヒト) バンドのパートを決めるとき、みんながやりたい楽器を選んでいくと、ドラムって余るんですよ。家でドラムが練習できる環境って、なかなかないですからね。当時中学2年だったと思いますが、幸いうちはスペースがあったので「ドラムがいないなら、俺がやるよ」みたいな感じで始めました。夏休みに、家の手伝いをしてそのお駄賃として、一番安かったドラムセットを買ってもらったのをよく覚えています。
――NUMBER GIRLはどのように結成されたのでしょうか。
アヒト 向井君(向井秀徳さん・現ZAZEN BOYSのボーカル・ギター)がバンドを始めたいとメンバーを探している中で声をかけてもらいました。僕が違うバンドでドラムを叩いていたのを見て「面白いドラムがいる」と感じたそうです。その後、電話で誘われました。
――向井さんたちと結成したバンドのインディーズアルバムにレコード会社が目を付け、仮契約して上京……と順調に歩んでいかれました。上京したときは、地元の福岡に戻らないつもりでしたか。
アヒト 振り返ると、戻るとか戻らないは考えていなかったかもしれません。ライブをやるたびに動員がどんどん増えて行ったこともあって無我夢中で。福岡のときは、本当に見向きもされませんでしたから。
お客さんも自分の知り合いや友だちばかりで、インディーズでCDを出しても、30人か40人来れば御の字でした。東京でも福岡にいたころと同じことをやっているつもりなのに、どんどんとライブハウスが埋まっていくので、ちょっと不思議な気持ちもありました。



