1968年(87分)/松竹/11000円(税込:『黒薔薇の館』とのセット販売)

 折に触れて本連載では、高校時代に大井武蔵野館に通っていたというエピソードを述べてきた。そしてついに、そのキッカケとなった作品がDVD化された。それが、今回取り上げる『黒蜥蜴』である。

 これを大井で観たのは、高校一年生の年末だ。当時から「映画青年」を自負してはいたが、所詮は「井の中の蛙」。高校や自宅から比較的近い生活圏である池袋、新宿、渋谷がメインで、よく知らない町には近づけないでいた。

 そんな中にあって、よく通っていた池袋の旧・文芸坐で本作のチラシを目にする。監督=深作欣二、主演=丸山明宏、戯曲=三島由紀夫、原作=江戸川乱歩――好きな固有名詞ばかりが並ぶその紙面を見て、興奮のあまり眩暈がした。しかもタイミングのいいことに、その頃にちょうど知り合った同級生が大井町在住な上に三島の大ファンだというのだ。そこで彼の案内で、武蔵野館へと向かった。

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 武蔵野館は寂れた商店街にひっそりたたずんでいた。これまで経験してきた繁華街の劇場とは明らかに異なる雰囲気に、早くも心がときめいた。

 そして上映が始まるとさらに、これまで経験のない光景に出逢うことになる。

 「黒蜥蜴」を名乗る怪盗(丸山)と名探偵・明智小五郎(木村功)は、虚々実々の駆け引きを通して互いの犯罪美学に共鳴し合う。やがて、黒蜥蜴は明智に対して恋情を抱くように。物語もテーマもベースである三島の戯曲通りで、それが若手時代の深作らしい快調なテンポで進んでいくため、エンターテインメントとして過不足ない作品といえる。それだけなら、大して印象に残らなかっただろう。

 問題は終盤にあった。黒蜥蜴は誘拐した令嬢(松岡きっこ)に、自身の美術館に展示した宝物を見せていく。それは、生き人形として剥製にされた人間たちであった。その中に、「鋼鉄のような腕の筋肉、ステキな胸毛」と紹介された、ひと際目立つ剥製が。

 それは三島由紀夫当人だった。筋肉を血管が浮き出るまでパンプアップさせて微動だにしない、半裸になった三島の姿が映し出された時、客席から爆笑が起きたのだ。

 作り手が笑わせるために仕込んだのではない、真面目な場面で笑う。そうした文化をそれまで知らず、正面からしか観てこなかった身には、衝撃だった。こういう楽しみ方もあったのか――! と。

 以来、映画の楽しみ方が広がった。普通に観るだけでは「退屈」「つまらない」「不出来」で片付けられるような作品や場面も、見方を一つ変えればとても楽しむことができる。映画という表現の豊潤さを教えてもらった気がする。