渋谷道頓堀劇場などでストリッパーとして活躍している宇佐美なつさん(32)。早稲田大学から新卒で外資系の大手コンサル会社に入社。順調にキャリアを重ね、「辞めずに働き続けていれば年収1000万円の可能性もあった」というほど順風満帆な会社員生活を送っていた。
しかし、宇佐美さんは3年で会社を辞め、ストリップ業界に飛び込むことになる。いわゆる“エリート街道”を歩んできた彼女は、なぜ安定した地位や年収を手放すことにしたのか。どんな経緯でストリッパーになったのか。宇佐美さんに、生い立ちから現在に至るまでの話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)
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教育熱心な家庭で育ち、小中高一貫の学校に進学
――宇佐美さんは、どのようなご家庭で育ったのでしょうか。
宇佐美なつさん(以下、宇佐美) 教育熱心な家庭だったと思います。両親が「ここが良いんじゃないか」と決めた私立の小学校を受験し、無事合格して。小中高一貫の学校だったので、高校卒業までその学校で過ごしました。
――小学校受験に対して、抵抗感はなかった?
宇佐美 私立に行くのは私の意思ではなかったけど、全然イヤではなかったですね。幼稚園の友だちと一緒の小学校に行けなくて残念だな、と思うくらいでした。
――ご両親から「勉強しなさい」と言われることは?
宇佐美 とくに「やりなさい」って言われた記憶はないですし、塾に通わされたりすることもなかったです。普通に小学校の授業を受けて、宿題もちゃんとやるタイプだったので、両親はそれで満足してたと思います。
クラスの学級委員長を務める優等生だった
――何か習い事はしていましたか。
宇佐美 水泳やピアノ、そろばん、あと英会話もちょっとやってました。でもそれも、無理矢理通わされてたわけではなく。
当時は親に言われるがまま行動してましたが、自分にとっては、それが苦じゃなかったんです。
――ご家庭の教育方針に対して、反発することもなく。
宇佐美 ないです。勉強の面でも素行の面でも、いわゆる“優等生”でした。反抗期もなかったと思います。
小4のときには、クラスメイトの推薦で学級委員長になったこともあるんです。だから、周りからも“優等生”と見られていたと思います。




