でも、半年経って、映画を作ることの大変さが身に沁みてわかりました。出演者を決めるだけじゃなく、音響、衣裳、カメラとか、ものすごくたくさんの人と連携しなきゃいけない。
私はあまり人とコミュニケーションを取らずに、自分の好きなように進めるほうが向いているから、「こりゃ無理だ」と思って半年で辞めました(笑)。
アメリカのコロラド州に1年留学→帰国後すぐに就活開始
――映画サークルを辞めたあと、別のサークルには入らなかったのですか?
宇佐美 入らなかったです。国際教養学部には「3年のときにどうせ1年間留学でいなくなるし、日本に帰ってきたらすぐに就活が始まるから、サークルには入らなくていい」という人が多くて、私もその人たちと同じように考えたんです。
――留学はどちらへ?
宇佐美 アメリカのコロラド州の田舎町です。父親が外資系企業に勤めていて、しかもエルビス・プレスリーがすごく好きなんですよ。それもあって、我が家はアメリカ文化に親しみのある家庭だったんです。だからアメリカに行きました。
1年だけだったので喋れるようにはならなかったけど、英語に“慣れる”くらいにはなりましたね。で、留学から戻ってきたらすぐに就活を始めて。
「コンサルにこだわりがあったわけではない」就活で外資系コンサルを志望した理由
――外資系のコンサルティング会社に就職したそうですが、もともとコンサル志望だったのですか?
宇佐美 特にコンサルにこだわりがあったわけではなくて。最初に内定をもらったのが外資系のコンサルだったので、その会社に決めた感じです。
とくにやりたいことがあるわけじゃなかったし、「絶対この企業に入りたい」というのもなかったんですよね。
ただ、どの会社、どの職種であれ、採用される=自分のような人間が求められている、ということだから、求められている会社に行こうと考えてました。
――外資系コンサルに入社するのは難しいと思います。ご両親や周りの人は喜んでいたのでは?
宇佐美 とくに母が喜んでましたね。母は、私にいい会社に入っていい人生を歩んでほしい、という想いがすごく強かったんです。
彼女は結婚を機に仕事を辞めたことを後悔しているようで、だから私に対して、「もし一度キャリアを離れてもまた戻ってこられるように、手に職をつけて、しっかり自立した人生を歩みなさい」と幼い頃から言ってました。
そんな母を喜ばせたいと思ったのも、コンサルを選んだ理由のひとつです。コンサルなら収入面でも彼女が満足するかなと思って。母が喜んでいる姿を見たときは、「ああ、よかったな」と思いましたね。
撮影=細田忠/文藝春秋
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