日本映画にグラマー女優のブームが起きたのは、大体1956年後半からであろう。つまり太陽族ブームの年である。そのさきがけとなったのは中田康子(東宝、のち大映)、前田通子(新東宝)あたりで、特に前田が『女真珠王の復讐』(1956年)で後ろ姿ながら全裸になったのは、宣戦布告ともいえる話題だった。それに続く1957~1958年には各社がグラマースター売り出しにしのぎを削った。彼女たちはいずれも身長160センチを超え、バスト90センチ以上と称され、戦後の日本の娘たちの体位向上を示すものであった。
記述にあるように、1956年は石原慎太郎の『太陽の季節』が芥川賞を受賞した年。同時に経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した年でもあった。多くの日本人が貧しく体格も貧弱だった戦後からようやく脱却して豊かさを求めるようになった時期。Mもその時代の一隅にいた。
彼女のスクリーンデビューとなった『透明人間と蠅男』(村山三男監督、北原義郎主演)で役をつかむいきさつを「映画評判家」を自称し、Mにもインタビューしたことがある南部僑一郎は「小説倶楽部」1957年9月号の「グラマー女優の正体」で書いている。
「バストはモンローと同じ」
若手女優20人に水着を着せてずらりと並ばせたところはなかなかの壮観だった。とにかく何千人の中から一応選ばれたよりすぐりの女性たちだから、世間に出せば一流の美人として通る人ばかり。その中から特に選抜するというんだからなおさらだろう。これで第1位に選び出されたのが、入社して1年3カ月ほどたったMという昭和8年生まれの女優である。
驚いたことは、日本の映画女優で、撮影所の宣伝本部から初めて、売り出し女優の体のサイズが正式に発表されたことだろう。それによると、バスト37インチ(約94センチ)、ウエスト21.5インチ(約55センチ)、ヒップ36インチ(約91センチ)という寸法で、バストはマリリン・モンローと同じで泉京子より1インチ(約2.5センチ)小さい。背丈が泉やモンローよりほんの少々低いから、バストはそれだけ偉大に見えようというわけだ。さて、この寸法でどの程度売り出すか、おなぐさみである。
大映の宣伝部は「邦画界最大のバスト」を宣伝文句に「96センチ」とも「98センチ」とも吹聴した。こうして一種鳴り物入りでスクリーンに登場したMだったが、どういうわけか、1年足らずの間に7本の現代映画で主にバンプ(妖婦)役を演じただけで、大映の現代劇を製作する東京撮影所から京都撮影所に転属。以後は時代劇に出演することになる。


