会社の意向だったのか、本人が東京より郷里に近い京都に親近感があったのか、あるいは、後で深い関係になる男の俳優に誘われたのか……。そして京都で初めて出演したのが『白蛇小町』だった。

映画『白蛇小町』のポスター

共演した俳優との子どもを出産するが…

「悪女の履歴書」などによれば、その後、Mは共演した男の俳優と恋愛関係に陥り、同棲して妊娠。28歳になっていた彼女は「遅い妊娠だから産む」と主張して男児を出産した。結婚を望んでいて、男をつなぎ留める手段だったともいう。しかし、男の母親が現れ「おまえのような女と一緒にしておいては子どもの将来のためにならない」と無理やり男児を奪い去った。Mは半狂乱になって男に訴えたが、取り合ってもらえず、それが原因で別れた。

 その間、映画出演は続いていたが、ポスターに写真が載った有名な映画は、長谷川一夫が主演した『歌麿をめぐる五人の女』(木村恵吾監督、1959年)ぐらい。役柄も準主役から徐々に脇役に回るようになった。

ADVERTISEMENT

妻子持ちの男性「T」との関係にのめりこみ、出産も

「悪女の履歴書」などによれば、1962年2月、高岡温泉でのショーの話が来て、MはTと初めて会った。その際、Tは妻のことを「妹や」と説明した。Tは精悍なやり手タイプで、Mをドライブに誘い、結婚を申し込んだ。

「芸能界に嫌気がさしていた彼女の胸に『結婚』の2字がキラキラ輝きだしていた。限界が見えている女優生活には何の未練もなかった。30歳を目前にすると、肉体派女優のその先が読める」(「悪女の履歴書」)。肉体関係を結び、MはTにのめり込んだ。しばらくしてTに妻子がいることを知ってショックを受けたが、別れる気にはならなかった。

 一方、Tは行く先々で「女優と付き合っている」と言いふらして得意になっていた。女道楽が激しく、プレイボーイを気取っている男だった。Mは妊娠・中絶を4回繰り返し、5回目はTの反対を押し切って男児を出産した。1967(昭和42)年8月だったという。

 その後も子どもの認知を求めたが、Tは父親から叱られて「Mと別れる」と約束。Mを避けるようになり、別れ話を切り出し始める。その間、Mの映画出演は『眠狂四郎』『座頭市』『悪名』などのシリーズものを中心に、多くが悪女役。

勝新太郎主演の映画『座頭市物語』(1962年公開)

『妖怪百物語』(安田公義監督、1968年)と『妖怪大戦争』(黒田義之監督、同年)では「ろくろ首」の役までやらされた。そして、『秘録怪猫伝』では化け猫に取りつかれる役で出演。事件を起こしたのはクランクアップ直前だった。

次の記事に続く 36歳女優が愛人を殺害→勝新太郎ら映画スターが減刑を嘆願→懲役は…「彼女は真面目で純情だ」“ヘビ女優”と呼ばれた女の「本当の顔」

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。