今回取り上げるのは、「現役女優初の殺人事件」と騒がれた1969年の犯罪。

 その女優は映画で蛇と絡み合うシーンを演じ名を売ったことから、事件は「蛇女優が愛人を殺害」とセンセーショナルに報じられた。華やかな世界にあこがれ、サクセスストーリーを体現したかに見えた彼女の実像とは、どのようなものだったのか? 

 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略。女優「M」と被害者「T」は仮名にする。(全3回の3回目/はじめから読む)

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「ヘビ女優」の見出しで事件を報じた当時の新聞(東京新聞)

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 女優Mは悪女役を多く演じてきたが、映画『秘録怪猫伝』では化け猫に取りつかれる役で出演。事件を起こしたのはそのクランクアップ直前だった。

 映画の公開をめぐっては大映社内で論議があったが、結局予定通り、事件から6日後の1969年12月20日に正月映画として封切られた。

Mの最後の出演作『秘録怪猫伝』は事件6日後に公開された。その新聞広告(京都新聞)

逮捕翌日の朝、俳優たちが警察署に現れ「何かの間違いだ」

「週刊新潮」2000年7月13日号の「ヘビ女優『M』を狂わせた妻子ある男の『嘘』(下)」はM逮捕翌日の1969年12月16日朝のことを記述している。

「見慣れない一団が姫路署に入ってきた。大映の京都撮影所の俳優たちだった」

 

「入ってくるなり『Mに会わせろ』と騒ぎ立てた」

 

「Mに会った俳優たちは、今度はオーバーな身振りで『何かの間違いだ』と訴えた。『あんたはこんなことをするような人やない。人殺しなんかできるようなお人やない』」

 

「撮影所のスタッフたちもやってきたし、大映の社長からじかに指名されたという弁護士も飛んできた」

 応対した姫路署刑事課長には1つだけ分かったことがあったという。

「大映の社長も俳優たちも、そして弁護士も、Mを知るほとんどの人がMに同情していたし、彼女のことが好きだったのである」

「週刊明星」の1970年1月4日・11日合併号の記事は「役柄とは反対に身持ちがよく、どんな配役にも文句を言わない女優。色白、もち肌で男好きする美人だが、人にだまされてもだますような女ではない」という大映内部の評判を記述。

 同年5月21日発行の「週刊ポスト」も「誰からも信用されてたのに……。俳優部屋の掃除など、一人で黙々とやっていたり、社内のお茶のサークルの幹事役を引き受けたりする世話好きで涙もろくて……。それだけに思いつめてあんな事件を」という京都撮影所人事課長の談話を掲載している。「被害者Tの妻まで彼女に同情し、減刑を願っている」とも。