本当に蛇好きだったのか? 父親は「心配しないでと手紙が…」
それにしても、Mは大映宣伝部が盛り上げたように、本当に蛇好きだったのだろうか。宣伝部員だった中島賢『スタアのいた季節 わが青春の大映回顧録』(2015年)は「彼女は私生活でも部屋の中で蛇を放し飼いにしていると世間ではうわさされていたが、彼女が蛇を飼っていたのは本当のことである。実際、一風変わった女性だったし、彼女の人生もまた普通とは異なる不幸な道をたどった」と述べる。
一方、「悪女の履歴書」は「蛇を怖がらなかったというだけで、特に好きだったわけじゃありません。自分の部屋で飼っていたなんて宣伝でしょう」「このころ、娘から『競争の激しい世界だから、人と変わったことをしなければ売り出せない。心配しないで』という手紙が来た」という父親の談話を紹介している。こちらの方が真実だったのではないか。
「『グラマー』曲線美の宣戦布告」は「グラマー女優」のその後について「しかし1959年にはブームは去り、『エレガント時代』がやってきて、肉体だけが売り物のグラマーたちは次々と銀幕から姿を消した。その後の彼女たちには、消息不明になったり、自殺したり(小宮光江)、殺人事件を起こしたり(M)、多難な前途が待ち構えていたのだった」と記述。
「怪物化する女優たち」は「『蛇シリーズ』がMの肉体と蛇に依存している限りにおいて、次第に飽きられてしまうのは当然の帰結であったといえる」と分析している。そうかもしれない。厳しい言葉で言えば、それ以上の何物かがなかったといえる。所詮は“使い捨て”の女優にすぎなかったのだろう。
たぐいまれな美貌と肉体を持つ地方出身の女性が、都会の華やかな世界での活躍を望むのは当然かもしれない。しかし、彼女は誰もが認める外見のために男にもてあそばれ、映画界に入っても「当時既に大映の某重役のお手付きになっていた」(1970年1月5日発行「週刊文春」での南部僑一郎証言)という。
さらに共演俳優との恋愛の挫折、地方興行主との実らぬ愛とその果ての殺人……。決して幸福とはいえない半生は彼女に原因があったのだろうか。容貌と肢体に恵まれた罪? もっと単純に、彼女が純朴で真面目で、世間ずれしたしたたかさがなかっただけなのかもしれない。やや愚かだったとはいえるとしても。それでも、結末まで考えれば、彼女はぎりぎり最後の真実までは手放さなかったといえるのではないだろうか。
【参考文献】
▽『新明解国語辞典第六版』(三省堂、2005年)
▽内山一樹編『日本映画史叢書(8)怪奇と幻想への回路』(森話社、2008年)
▽「キネマ旬報増刊12.31号 日本映画俳優全集・女優編」(キネマ旬報社、1980年)
▽『キネマの美女 二十世紀ノスタルジア』(文藝春秋、1999年)
▽田中純一郎『日本映画発達史Ⅴ』(中公文庫、1976年)
▽中川右介『社長たちの映画史』(日本実業出版社、2023年)
▽中島賢『スタアのいた季節 わが青春の大映回顧録』(講談社、2015年)
