「あちらのご家族に申し訳ない。こうして生きているのが毎日苦しくて……」と漏らしつつ、養護施設にいるTとの間の子どもについて「思うと胸が張り裂けそうになって……」と語った。それ以前に面会に行った大映のスター女優・藤村志保(2025年6月12日死去)は取材に「Mさんには優しくしてもらってたので、もう、じっとしていられなかったの」と話した。

大映のスター俳優であった藤村志保(左)と勝新太郎 ©文藝春秋

失うものは全て失った

 殺意の否認はその後も一貫していた。しかし、同年4月17日の判決は「状況や証言から殺意はあった」として求刑通り懲役7年を言い渡した。

一審判決は求刑通り懲役7年だった(神戸)

 Mは控訴。同年9月17日の大阪高裁での控訴審判決は、一審同様殺意を認めたものの「子どもの将来に不安を感じていた」など、同情すべき点も多いとして懲役5年に減刑した。

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控訴審では5年に減刑された(神戸)

 Mは和歌山刑務所で服役したが、模範囚で1973年に仮出所した。「主婦と生活」1975年9月号には「すべて失ったけど まだこれからよ」という近況が掲載されている。京都・嵐山のふもとで養護施設から引き取った8歳の男児と二人暮らし。「家計は実家に面倒みてもらっている」と言い、「『もう失うものは全て失ったもの。無の境地よ』とあっけらかんとした口調で語り、ケタケタと笑った」という。

「あの人(T)、運が悪かったのね。殺すつもりじゃなかったのに、死んじゃって……。向こう(刑務所)から帰った後、毎日水をあげ、手を合わせてるわ。月1回は姫路のお墓にこの子と一緒にお参りしてるの。この子にはちゃんと話してあるんです。父親のことも私のことも。これからは、この子の大きくなるのを楽しみにして生きるわ」

「すべて失ったけど まだこれからよ」とMは語った(「主婦と生活」より)

 その後の「悪女の履歴書」(1983年3月)では、49歳で「近くの弁当屋にパートで働きに出ている」とある。67歳当時の「ヘビ女優『M』を狂わせた妻子ある男の『嘘』(下)」(2000年7月)では「調理師の免許を取り、京都市内の病院の調理場で定年まで働き、子どもを育て上げた」とされており、これが最後の消息のようだ。

 若山富三郎(大映時代の芸名は城健三朗)から「いつでも戻ってこい」と映画界復帰のラブコールを送られていたが、そうすることはなかった。確かに「犯罪者の蛇女優」という名前は一生彼女から離れず、彼女はそれに耐えられるような女性ではなかっただろう。