仕事に家事、育児と忙しい日常を過ごす30~60代の働きざかり世代。そんな中、突然親の介護に生活ペースを乱されて苦悶する人は少なくない。

「するべき」ではなく「しなくていい」をベースにした介護の方法論があってもいいのではないか? 介護の現場を数多く取材してきたノンフィクションライター・旦木瑞穂さんはそう提案する。

 ここでは、旦木さんの『しなくてもいい介護』(朝日新書)より一部を抜粋。遠方に住む両親の介護に直面して大きな不安を抱えることになった澤田ゆう子さんの事例を紹介する。(全3回の1回目/続きを読む)

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©westイメージマート

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駆け落ちした両親の異変

 現在都内在住の澤田ゆう子さん(50代・既婚)の父親は、国家公務員だった。父親は関東郊外の代々続く旧い家の生まれで、26歳の時に親が決めた23歳の女性と結婚し、娘が生まれた。しかしその3年後、父親は30歳の時に当時22歳で新聞社に勤める澤田さんの母親に出会い、強く惹かれ合った2人は駆け落ちしてしまう。このことで父親は国家公務員の職を失ったばかりか、元妻に慰謝料を払うために、代々守ってきた田畑を売らなくてはならなくなり、跡取りであることを放棄させられた。

 雇人が何人もいる商売屋の4女だった母親も、“略奪婚をした娘”という汚名を家にきせた罪を償うために、相続放棄を余儀なくされる。

 その5年後、父親35歳、母親27歳の時に澤田さんが誕生。職を失った父親は、金融系の仕事に転職。財産も家という後ろ盾も失った両親は、懸命に働き、節約に勤しみ、貯金に明け暮れた。

 やがて、定年と再雇用などを経て70歳で完全にリタイアした父親は、趣味のゴルフを楽しんだり、お囃子保存会に参加したり、神社の氏子をしたり、自治会役員を勤めるなど、忙しく過ごしていた。

 澤田さんは大学卒業後、金融系の会社に就職し、34歳の時に8歳年上の専門商社に勤める男性と結婚し、都内で暮らしていた。澤田さんの新居は、実家からは公共交通機関でも車でも2時間ほどかかる距離だった。