「私が記憶している限り、用心深い母が大切なものを忘れて帰るなんて初めてのことです。両親が帰ってしばらくした後に私が気づき、電話したことで初めて母はカバンを忘れたことに気付いたようです。あまりの信じられない出来事に、この時『母は認知症かもしれない』と疑い始めました」
いざ疑い始めると、「年相応の物忘れではない」と思うことが増えていく。
「振り返ってみると、こちらの言っていることの情報処理が追いついていないのか、母は適当な相槌を打って、適当に返事をしていました。だから会話が浅くなる。でもたまにしか会わないので、『歳とってきたなあ』で片付けていました。『あれ?』ていう小さな気づきに対して日頃から深く考えていたら、もっと早くに適切な治療を受けられたかもしれません……」
嫉妬妄想
その後も母親の異変は続いた。
「父が『トマトはあるからいらないよ』と言ったら、『あるからいらない』は忘れて『トマト』の記憶だけが残って、トマトばかりを買ってきました。ニンニクの芽と肉のパックばかり買ってきていたのは、料理ができなくなってきたせいかもしれません。焼くだけだから楽ですが、ああいう食材は油が多くて、高齢の父と母では食べ切れないのにまた買ってくるため、食卓に前日炒めた味付け肉のおかずと、今日炒めた味付け肉のおかずが並んでいたりしていました」
田村さんは父親経由で認知症の検査を受けることを勧めたが、母親はテコでも動かなかった。
そして2021年夏頃。母親は時々衝動的に家を飛び出したり、不機嫌になったり怒り出したりということが増える。そこへ新たに出始めた症状は「嫉妬妄想」。「嫉妬妄想」とは、配偶者や恋人など、パートナーが浮気していると根拠なく確信する、認知症の周辺症状としてよくみられる妄想性障害の一種だ。レシートの見方がよくわからなくなっていた母親は、レシート下に載っている広告を見て、「見慣れない店名と住所が書いてある。自分は行っていないから、お父さんが行ったに違いない。そこで女に会って、一緒にご飯を食べたんだ!」と思い込み、執拗に父親を責めるようになった。