しかし約1時間後に起きて、食事の後片づけや、翌朝の準備をした。激務の妻の帰りはいつも23時近い。運が良ければ、三井さんが寝ている間に帰ってきた妻が、食事の後片づけをしてくれた。

 休日は、子どもたちを公園などに連れていき、目いっぱい身体を動かして遊ばせ、クタクタにさせて帰宅。たくさん食べさせて早く寝かせた。

「家事はなるべく子どもたちが寝た後にやるようにし、お金以外のことで不自由を感じさせないようにしました。毎日息つく暇もないほど忙しいですが、なかなか普通の父親では味わえないほど密な時間を子どもたちと過ごせて、『悪くない』と思っていました」

ADVERTISEMENT

 しかし、母親が認知症と診断され、「要介護1」と認定されてから、三井家の生活は一変した。

 仕事が終わると夕飯の支度をし、作った夕飯を車に積むと、学童や保育園へ子どもたちを迎えに向かった。最後に母親の家へ寄ると、みんなで夕食をとるようにした。

「母に寂しい思いをさせないように」と思って始めたことだったが、三井さんが母親にばかりかまっていると、末っ子がヤキモチを焼いてぐずる。長女は食べるのが遅く、アレルギー体質の長男は母親の家のハウスダストで目が真っ赤。三井さん1人が「早く帰って早く寝かさねば」と焦る一方で、母親は何度も同じ話を繰り返す……。

「私は子どもの頃、お酒を飲んでは機嫌が悪くなる父の顔色ばかりうかがっていましたから、子どもたちには『同じ思いをさせたくない』という想いが強かった。それなのに介護が始まった当時は、仕事や介護の疲れやストレスから、子どもたちを怒鳴ってしまうことが増え、子どもたちを不安にさせたと思います。申し訳ないことをしました。

 手を上げたことはありませんが、子どもたちにチックが出るくらいひどく怒ってしまうため、よく怒鳴りながらも何とか子どもたちを遠ざけようと『2階へ逃げろー!』と叫んでいました。

 良くないとわかっていても、当時は怒鳴るのをやめられませんでした……」

 母親の介護が始まってから、仕事と家事・育児を回しきれなくなってきた三井さんは、介護休業が利用できないか上司に相談。上司の後押しを得てさらに上層部と協議し、通算93日まで、最大3回まで分割して取得できるところ、30日間の介護休業を取得した。