ナゾの駅「長岡」で大花火大会が開かれるワケ
しかし、幕末の戊辰戦争で幕軍について戦ったことで、長岡の城下町は灰燼に帰す。長岡城もすっかり焼け落ちてしまった。
城下町は再建されたが、城は再建されることなくそのまま捨て置かれ、のちに長岡駅の敷地になったのである。
明治以降は中越地方の中心地として発展するも、またも戦禍に見舞われる。1945年8月1日の夜半、長岡空襲である。
終戦直前のこの空襲で長岡の市街地は8割が焼け、およそ1500人が命を落とした。現在の長岡の町は、こうした幾たびもの戦禍を乗り越えて受け継がれてきたものなのである。
そしていま、長岡の夏といえば花火である。
毎年8月1~3日に催される長岡まつりの一環として、2日・3日の両日に行われている。もとを辿れば1946年に行われた長岡復興祭がはじまりで、いまでは慰霊と平和の祈りの祭りとして続いている。
大花火大会は日本三大花火大会のひとつにも数えられ、多くの観覧客を集めるビッグイベントだ。
ただし、花火大会そのものは戦前から脈々と受け継がれてきたものだという。
明治時代に遊郭関係者によって始められ、大正時代には名物の正三尺玉の打ち上げに成功、昭和初期には速射連発のスターマインもお目見えしている。戦前から、長岡の夏は花火が風物詩だったのだ。
雪と戦い、たび重なる戦禍を経ても営みを続けてきた長岡の町。長岡の花火は、この町の歩んできた歴史を体現しているのだろう。
長岡駅の西口、駅前広場の正面には、花火のオブジェと長岡城本丸跡の碑が、立っている。
写真=鼠入昌史
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