なぜ、特攻は“失敗”したのか

 あの日の特攻は何だったのか……。詳細を知りたくて、中村は帰還後、「呑龍」の特攻の記録を調べたことがあるという。

 そこで、その背景がうっすらと見えてきた。

「呑龍」の編隊で出撃する1日前。

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「12月13日、ミンダナオ海を埋め尽くすほどの軍艦、輸送艦が集まっていたことが分かりました。そこへ日本海軍の戦闘機数機で特攻を仕掛けたのです」

 この特攻は成果を上げていた。米艦隊の旗艦、巡洋艦「ナッシュビル」に神風特攻隊の「ゼロ戦」3機、陸軍機の「隼」1機が体当たりを仕掛けた。このうち1機が、「ナッシュビル」後部へ突入し、艦艇は大炎上したという。

 日本軍機のこの特攻で、「ナッシュビル」の乗組員約130人が戦死し、約190人が負傷。戦死者のなかには参謀クラスの米軍幹部が複数人、含まれていたという。

米海軍の軽巡洋艦・ナッシュビル

「これによって米軍の司令官が交代したのです。新しい司令官は急遽、船団のコースを変更した……。日本軍はこの大船団を見失ってしまったのです」

 前日の日本軍の特攻を受け、翌12月14日、日本軍の追撃の特攻をかわすために、米艦隊は、違う島へ船団を移動させ、隠していたのだ。こう中村は分析する。

「だから『呑龍』の編隊が特攻を仕掛けた目的の地点には米の船団は1隻もいなかった。そう考えるしかありません。それなのに我が軍は、まだ、この海域に米艦隊がいると思い込んでいた。『呑龍』9機は、米軍の罠に、まんまとはまった……。これは私の推測ですが」

「呑龍」の編隊を、雲のなかに身を潜め、米戦闘機「サンダーボルト」の大軍が待ち伏せしていたという事実が、この中村の推測を裏付けている。

次の記事に続く 特攻隊で出撃→生還したのに「なぜ、お前は帰ってきたんだ!」と戦犯扱いに…“戦死扱い”された旧日本軍パイロットの“その後の人生”

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