写真集を自費出版→モデル活動で最高月収60万円→沖縄へ移住した経緯
――そして、いわゆるフリーランスになったんですね。
朝比菜 そうですね。事務所にいた当時もInstagramの運用は頑張っていて、在籍していた半年ほどでフォロワー数を3万人から10万人に伸ばしてからフリーランスになったので、活動のベースはあったんですよね。
SNSで自分の写真集を自費出版したり、ポートレートもTwitter(現・X)でバズらせるのに成功し、モデルとして活動したりして、最高月収は60万円ほどでした。
――そこから、沖縄へ移住するまでにはどれほどかかったんでしょう?
朝比菜 1年ほどです。フリーランスになってからの半年は、旅をしながら撮影会などを開催していたんです。
一時期は仙台の実家に戻ったんですけど、国内だけではなく海外15カ国も巡るゲストハウスの旅もして、2024年6月に沖縄へ移住しました。
「車中泊生活をしたり、三線を練習して路上ライブをしたり…」沖縄で職ナシ・家ナシ生活を経験
――なぜ、移住先が沖縄になったんですか?
朝比菜 コロナ禍で海外へ行けなくなり「海外っぽい場所あるかな?」と思って、沖縄に行ったのがきっかけでした。初めて訪れて感動した海外の土地、タイに雰囲気が似ていたんですよ。海がキレイだし、「ゴーヤーチャンプルー」とか「紅芋タルト」とか、名物がたくさんあるところも気に入りました。
あと、沖縄の民謡を好きになったことがとても大きかったです。国際通りに行きつけのライブ居酒屋があって、そこで初めて聴いた三線で弾き語りをする民謡に心打たれたんです。
旅行していた当時に住んでいた埼玉の自宅に帰ってからも、民謡を聴くと涙が出るほどでした。相方のほのかと新たなYouTubeチャンネルをはじめたのもその思いからで、「2人で有名になろう」と頑張っています。三線で弾き語りライブをするのも夢です。
――沖縄に移住して2年目、これまでどんな生活を?
朝比菜 SNSの運用代行も続けていたし、移住してからは旅関係のSNS案件もいただけるようになったんですけど、突然パタリとSNSの運用代行の仕事がなくなってしまって。
住んでいたゲストハウスもマンネリ化で飛び出して「仕事なし家なし」の時期もあったので、車中泊生活をしたり、大好きな三線を練習して路上ライブをしたりして過ごしてました。




