人生を「自由」に生きる。誰しも一度は憧れる生活を手に入れたのは、沖縄で三線の路上ライブをしながら、ゲストハウスや車中泊で生活をしたり、日本中、世界中を旅する朝比菜りおなさん(20代)。
かつて、故郷の宮城県仙台市で一部上場企業に就職。会社員をしながら週末だけ東京でアイドルをする生活を続けたが、23歳で退職して上京した。その後、大手芸能事務所で演技を学ぶが、約半年で退所してフリーランスに。そして、沖縄へ移住という“紆余曲折”の経歴を持つ。
自己否定していた人生から解き放たれ、自身のモットー「私の言葉と生き方で、多くの人に元気や勇気を与えたい」を叶える生活を手に入れた朝比菜さんに上京後の生活、そして、沖縄移住の背景を聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)
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会社員時代の貯金を切り崩しながらのアイドル活動
――一部上場企業を退職して上京したものの、所属していた2組目のアイドルグループ「リルミー」も半年ほどで解散したそうですね。
朝比菜りおな(以下、朝比菜) 東京での生活は、給料も少なかったのでカツカツでした。収入といったら、ライブ会場で販売するチェキ代のバックで月3万円くらい。投げ銭をもらえるライブ配信も頑張っていたんですけど、会社員時代の貯金を切り崩しながら生活していました。
「リルミー」の時は、衣装を用意してもらえず、自分たちで調達した白い衣装で揃えて、解散するまでそのままだったんです。メンバーから「ダンスが下手」と辛らつなことも言われたし、最初に聞いたお話と食い違っていたので、正直、環境への不満もありました。
――なぜ解散することになったのですか?
朝比菜 事務所から急に「ライブで200人集めないと解散」と言われたんです。秋葉原や渋谷でのビラ配りも頑張ったんですけど、結局ライブに集まった人数は153人で、200人を達成できずにその場で解散となりました。
そこでもう、その事務所には見切りを付けたんです。でも、卒業ではなく解散でアイドル活動が終わってしまったのは悔いがあったし、熱意も残っていたので、次の事務所を探しました。
――その後、大手芸能事務所に所属したんですよね。
朝比菜 最初は、アイドル系の事務所を2社受けたんですけど、どちらも大きく飛躍できるイメージが浮かばなかったんです。だから、狙いを大手に切り替えて、演技の勉強ができる大手事務所に入りました。
知り合いからは「大手芸能事務所なんて、お金を払わせられて終わり」と言われたんですけど、30歳になったときに「あのとき、大手に挑戦すればよかった……」と後悔したくなかったし、「ダメでも経験してみよう」と思ったのが飛び込んだ理由です。




