B-29のターゲットは何だったのか?

 五日市街道と交差して、さらに先へと進んでゆくと、突き当たったところに巨大な公園が待っていた。武蔵野中央公園だ。

 

 その奥にはNTT武蔵野研究開発センタ、東側には武蔵野緑町パークタウンというURの団地群や都営アパート、また武蔵野市役所などがある。

 
 

 この公園からNTT、団地までを含む広大な土地に置かれていたのが、B-29のターゲット。中島飛行機武蔵製作所であった。

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零戦のエンジンも手がけたトップメーカー

 中島飛行機は海軍出身の技術者・中島知久平によって設立された戦前の航空機メーカーだ。

 メーカーといっても製造したのはほとんどが軍用機。エンジン製造も引き受けており、機体は三菱が開発したかの零戦も、エンジンは中島飛行機製だったとか。いわば、軍用機のトップメーカーというわけだ。

 

 中島飛行機は1925年に東京・荻窪にエンジンの開発・製造工場を置く。しかし、日中戦争が始まって航空機の増産が求められるようになると、荻窪の工場だけではどうにも手狭。拡張しようにも周辺は宅地化が進んでいた。

 そこで白羽の矢を立てたのが三鷹駅北側、武蔵野の田園地帯だったのである。

 

 1938年、陸軍機のエンジン工場として中島飛行機武蔵製作所が開設される。さらに1941年には、西側の隣接地に海軍機のエンジン工場も開設。

 どちらも製造していたエンジンは同じ型のもので、はじめは壁で隔てられていた隣り合う中島飛行機の工場はのちに正式に合併している。

 学徒動員もあって、1944年には5万人ほどの従業員が働いていたという。