実は、太平洋戦争で日本本土への空襲が本格化したのは1945年になってからだ。もちろんそれ以前から散発的に空襲を受けることはあった。初めての本土空襲が1942年4月18日のドーリットル空襲だったということは、よく知られた話だ。
ただ、その時点ではまだ米軍は日本本土を航続距離に収める爆撃機の開発に成功していなかったし、またそのための拠点基地も確保できていなかった。中国大陸や空母などから爆撃機が出撃したことがあっても、本格的に日本の都市を焼き尽くす、などということは難しかったのだ。
潮目が変わったのは、サイパン島やテニアン島などを含むマリアナ諸島を米軍が制圧した1944年の夏のこと。
以後、米軍はマリアナ諸島に巨大な航空基地を設えて、B-29による空襲は日本本土の大部分を射程に収めた。そしてついに、日本中の都市の空にB-29がやってくるようになったのである。
そのはじまりは、1944年11月24日にサイパンを飛び立った111機のB-29だ。東京上空に初めてやってきたB-29でもあった。目的地は東京都心……ではない。都心の上を通り過ぎ、彼らの目的は現在の東京都武蔵野市。まだ武蔵野の田園地帯の面影が残っていた、中央線三鷹駅北側の一帯だ。
B-29から“最優先”で狙われた場所「三鷹駅の北側」には何があったのか?
いまもまだ、閑静な郊外の住宅地といった雰囲気の武蔵野の地。いったいなぜ、B-29は最初の空爆のターゲットにそのような場所を選んだのだろうか。
まだまだ都心の住宅密集地を絨毯爆撃するような戦局ではない、という判断からなのか。それとも武蔵野に特別な何かがあったのか。
“最初の空襲”を受けた場所を訪れた。





