それぞれの「後ろめたさ」

 ある午後、新聞テントをのぞくと、翻訳係の一人がぽつねんと独りで机に凭れていた。

「ケーリさん、みんなが畜生、畜生と言っています。ぼくは同じ言葉を、日本の戦争指導者に向かってぶつけたいです。今までぼくは、戦争が終わり、内地へ帰ってからのことだけを考えて、こつこつと勉強して来ました。その時のために自分の力を蓄えることが、捕虜中にやるべきだと考えて来ました。心ない人たちに比べれば、それだけでも、捕虜になった甲斐があると思って来ました。

 ところが、このごろのように、日本本土爆撃を毎日聞くと、自分があまりにも虫がよ過ぎるような気がしてならないんです。戦争はどんどんひどくなっていっているのに、ぼくはそれを半ばよそごとのように考えて来ました。このごろのように内地が戦場となって、はじめて、悲惨な現実に気づいたような有様です。ぼくは戦争の局外に立っていたんです。命の心配がないどころか、三度の飯も絶対に保証されているこののどかな身分が、内地を思うと心苦しいんです。ぼくは捕虜になったことを後悔してはいません。しかし、このごろは何か後ろめたいものがついて廻るんです。業火に追われている友人や家族の目がぼくを見ているような気がするんです」

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 私はうなだれて聞いていた。気がつくと、私はいつの間にか指の爪をしきりに噛んでいた。立場は違うが、私も同じような後ろめたさに追われていた。私は、直接内地に爆弾を落としている側の人間だった。親しい日本の友人たちが、私が忠誠を尽くしている国の鉄片に傷ついてゆく。私の幼少から少年時代を育んでくれた日本の山河を、自らの手で破壊してゆく。

 

収容所にいる誠実な協力者

「それであんたは、どうしたらいいと思うんだ。どうしようと思うんだ」

「戦争が早くなくなり、親兄弟はもちろん一人でも多くの日本人が助かることなら、なんでもしたいと思います」

 私は以前から懐いていた理想の計画を、もう一度胸の中で引き出して来た。

「あんたのような考えの者は、どのくらいここにいるだろう」

「まだ、突っ込んでは話していませんが、ぼくが信頼している人たちは、多少ともぼくと同じように悩んでいることはたしかです」

「よし、何か力になれると思うよ。仲間とよく話し合ってごらん」

 私は上司にこの話を伝えた。今までのように局部的な、その場その場の日本兵救出だけでなく、組織的に、腰を入れて、この種の仕事をやりたい。日本人を救うことは、アメリカ人を救うことだ。人間を、世界を救うことだ。一片の謀略ではないという私の信念を強調し、有能な、誠実な協力者が収容所にもいる事実を伝えた。そして出来るだけ早く、機会を与えてくれるように懇請した。