太平洋戦争時、捕虜収容所の所長として日本人捕虜たちと交流を重ねたオーテス・ケーリ氏。彼はどのように日本人を眼差していたのか。
1950年に『日本の若い者』として刊行され、この度再刊となった『真珠湾収容所の捕虜たち 情報将校の見た日本軍と敗戦日本』(角川新書)の一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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地獄島から来た男
四五年の春、マーシャル諸島の、ミリ、マロエラップ、ウオッチェなどから脱出した連中が、一団となって収容所へ送られてきた。私は早速その柵へ出かけていった。
「最近のニュースだよ」
私が放り出した新聞が、リレー式に一人の男のとこへ届いた。
「これがリーダーだな」
私にはすぐ分かった。その男は、私に背を向けて下を向いていた。この毛唐はどういう男か、何を喋るか、と無関心を装いながら、全身の神経が張っているのだと思った。
「しょうがねえ、読んでやろう」
といった顔付きで、この親分は、ぶっきらぼうに新聞記事を読み上げた。依然私に背を向けたまま——。私が収容所の様子、特に“寺子屋”を中心とする健康な生活を紹介して、安心と元気を与えようと話している間も、この親分はそっぽを向いていた。
「あなた方は、どうして島を脱け出したんです」
すぐ答えようとする者がなかった。
親分が答えてくれるのをみんな待っているふうだった。しばらくして、親分がやおら体をねじって、口を切った。
「戦友の肉まで食って島に生き残るより、米軍に投降した方がいいと思ったまでです」
顔の筋肉一つ動かさず、彫刻のような無感動さで言い切った。引きしまった大きな口が印象的だった。意志の強い、行動的な頼もしそうな男だった。
「逃亡して敵の捕虜になったことを後悔していないか」
「偉い奴らは、下っ端を犠牲にして生きている。下っ端は仲間の肉をねらっている。戦うためじゃない。ただ生きたいだけの餓鬼道です。同胞の肉を食わないだけでも、捕虜の方がましです。むしろ解放されたような、すがすがしい気持です」


