終点は終戦
計画実現に望みを持った私は、ある夜十人近い“有志”と会合した。その顔ぶれは、クリスチャンから、コミュニスト、単なる自由主義者、体験だけで生きる者——今までは柵内では、侃々諤々の議論をして、一週間も口を利かなかったという者まで一緒だった。
「戦争を一日も早く終わらせたい。そのためには“売国奴”と罵られても敢えて忍ぶ。われわれこそ、真の愛国者だと信じる」
この一点でだけ共通していた。
「思想や主義の違いは、この際問題ではない。戦争がすんで、新しい日本の建設が始まるとき、異なった道を歩むことは勝手だ。このグループの終点は終戦なんだ」
このグループがここに集まるまでには、相互にいろんな議論が闘わされたということだった。連合国の戦争目的は、人類にとって進歩的なものかどうか?
「枢軸国の戦争目的に比べれば明らかに進歩性がある」というのが、支配的意見だった。しかし、
「そういうむずかしいことは、おれにはよくは分からん。おれは、ただこの戦争が早く終わればいいと心から願っているだけだ」
と言う者もいた。
占領という体験
米軍が日本を占領するとどういうことになるか?
「日本人が無茶な扱いを受けないことはたしかだ。アメリカ人の人間性はおれたちの誰でもが、まるで信じられないほどの驚きをもって、体験から知ったことだ。米軍なら占領されても心配はない」
それは文句なしに一致出来た。
「長い将来を見た場合、占領されるということは日本がアメリカの植民地にされることじゃないか?」
「それは、われわれの、占領という体験が、日本軍の占領地に限られているから、そういう不安が起きるんじゃないか」
「いずれにしても、それは戦後の問題だ。われわれは今そこまで踏み込む必要はない。何はともあれ、この戦いを終わらすことだ」
その夜は、同志を獲得するために、このグループの“憲法”を草案することを決め、手分けして、望みのある友人に当たることにした。
「ケーリさん、ぼくらは自分たちのためにやってるんで、あんたの手先じゃないんですよ。勘違いしないで下さいよ」
鉄柵への帰りがけに一人が冗談めかして言ったこの言葉は、彼自身に、もう一度念を押している言葉だった。



