唾液腺腫瘍、乳がんも患い…

 しばらく休んでいた歌手活動を本格的に再開したのも、2000年であった。以来、ステージに立ち続けている。2006年には唾液腺腫瘍に続き、初期の乳がんと診断され、手術を無事に終えたのちも治療を続けた。その過程で、ホルモン療法の副作用によりコンサートの前日に顔が腫れ上がるということがあったという。

 一晩寝ても腫れは引かず、《『この顔でどうやってコンサートをやるの!?』と思っているうちに開演30分前に。仕方がないから私、まぶたに目を描きましたよ(笑)》というありさまでいざ幕が上がるも、1曲目を歌い終えても拍手はまばらで、客が引いているのがわかった。それでも2曲目に日本でのデビュー曲「ひなげしの花」を歌うとようやく大きな拍手が起こったという(『ゆうゆう』2020年3月号)。彼女のプロ根性がうかがえるエピソードである。

アグネス・チャン〔2008年撮影〕

彼女自身のアイデンティティ

 アグネスはイギリス領だった香港に生まれ育ち、1997年に香港が中国に返還されたあとも国籍はイギリスである。しかし、彼女のなかではいまなお、自分のアイデンティティは「香港人」であり「中国人」であるという強い自覚があるようだ。中国は両親のルーツである。29歳のときに母親の故郷である貴州省を初めて訪ねて、そのルーツを強く意識し、これが北京でのコンサートの実現へとつながった。

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 上記のアイデンティティについての発言は、いまから6年前の『毎日新聞』ウェブ版のインタビュー(2019年9月19日配信)でのものだが、このとき香港では、香港政府による逃亡犯条例の改正案が、それに強く反対する市民のデモの高まりを受けて撤回されたばかりだった。民主化を求める勢力からすれば勝利であったが、アグネスは喜ぶどころか、《今の香港。すごく分裂していますね》と憂え、反対運動が《ここまで長期化し、デモの一部が暴徒化するような事態になって、なんだか終わりが見えなくなってきています。そろそろ原点に返って「そもそも何のために戦っているのか」を冷静に話し合ってほしいですね》と持論を述べた。こうしたアグネスの発言に対しては「中国政府寄り」と批判する向きもあった。