きょう8月20日、アグネス・チャンが70歳の誕生日を迎えた。1987年から翌年にかけて起こった「アグネス論争」。その後の彼女の歩みとは。(全3回の3回目/はじめから読む)

8月20日に誕生日を迎えたアグネス・チャン ©文藝春秋

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「アグネス論争」をきっかけにスタンフォード大へ留学

 アグネス・チャンが出産してまもない長男を連れて、テレビの収録現場など仕事先に通っていたことへの賛否から、1987年から翌年にかけて識者だけでなく一般人をも巻き込んで過熱した「アグネス論争」は、アメリカの『TIME』誌(1988年10月10日号)でも報じられた。

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 この記事を読んだアメリカの名門・スタンフォード大学の教育学部のマイラ・ストロバー教授(当時)が、彼女に会いたいと伝えてきた。1989年初めのことである。マイラ教授は、20代前半で出産して大学教員として仕事と子育てを両立する苦労を味わった経験から、育児に関する経済学を研究していた。教授はアグネスと会うと、「私のもとで勉強しなさい。ジェンダー学を語れなければ、アグネス論争はただの芸能人の騒ぎで終わってしまいますよ」と言って留学して博士号を取るよう勧めたという(『潮』2014年11月号)。

 アグネスは戸惑いながらもひとまず博士課程の入試を受けて合格するが、それでもなお日本での仕事を休んで留学することに躊躇した。だが、個人事務所の社長でもある夫の「スタンフォードなら行く価値がある。あとは君の気持ちしだいだ」との一言で決意を固める。

アグネス・チャンと夫の金子力氏(右)〔1985年10月21日撮影〕

 その直後、アグネスに思いがけず第二子の妊娠が判明する。これではとても留学などできないと思い、教授に国際電話をかけると、何も言わないうちに妊娠したのだと勘づかれる。そして教授は、スタンフォードには子供を産んで育てながら勉強している学生もたくさんいると言って、「勉強は自分のためにするものです。子供のせいにしてはいけないよ。大丈夫だからいらっしゃい」と温かい言葉をかけてくれたという(『婦人公論』1992年10月号)。

 こうして1989年9月、夫を日本に残して当時2歳の長男を連れて渡米、スタンフォード大学の博士課程に入学する。翌月に起こったサンフランシスコ大地震のショックから出産は予定より10日早まったものの、11月に夫の立ち会いのもと無事、次男が誕生する。