きょう8月20日、アグネス・チャンが70歳の誕生日を迎えた。17歳で来日し、デビュー曲「ひなげしの花」が大ヒット。“香港から来た妖精”と呼ばれ、人気を博すも、一度は留学のため芸能界を引退する。復帰後、彼女は楽曲の方向性、妊娠・出産、そして“アグネス論争”と、さまざまな壁にぶつかることとなり……。(全3回の2回目/続きを読む)
◆◆◆
22歳でカナダへの留学から日本の芸能界に復帰したアグネス・チャンは、自分のやりたいメッセージソングをリリースしたものの売れず、20代も後半になるにしたがい壁に突き当たっていた。そこへ彼女の担当マネージャーが「まずノルマを果たして、時間が余ったら、好きなことをやればいい」と助言してくれた(『週刊朝日』1995年1月20日号)。
しかしアグネスは、それ以前より所属事務所の渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメント)が、彼女に大人の歌手になってほしいと言って求めていたクラブやキャバレー回りはしたくなかった。そこで代わりにスーパーマーケットを回り、ミニコンサートを3年近く続けることになる。その上でマネージャーは先の言葉どおり、余った時間には雑誌の連載など文化的な仕事をしてもらおうと彼女を各方面に売り込んだ。
クイズ番組への出演、“歌の力”を再認識するという「転機」
そのマネージャーがあるとき、「じつはアグネスはものすごくひょうきんなんだよ」と彼女に教えてくれた。当人はそれまで自分が生真面目でつまらない人間だと思っていたが、そう言われてからは『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)のようなクイズ番組にも出演するようになったという。出演を続けるうち、自分が必死で答えるのを見てみんなが笑ってくれることに快感を覚えるようになる(アグネス・チャン、喜多嶋洋子『「結婚生活」って何?』講談社、2005年)。
歌手としても運命的な出来事があった。アグネスの母は中国の貴州省出身で、日中戦争のさなかに香港出身の父と出会って大恋愛の末に結婚、その後の中国内戦を経て中華人民共和国が成立してからは、親族と別れて香港に居を定めた。その母の故郷・貴州をアグネスが1984年に初めて訪ねたとき、親族の子供たちが集まって合唱を披露してくれた。それは彼女がかつて作曲して台湾の人が作詞した「帰って来たつばめ」という歌だった。

