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アグネスを擁護した側でも、先述の上野千鶴子は《林さんや中野さんを批判するオヤジ連合は「子無し女のやっかみ、ひがみだ」と言った。これが私はすごく嫌でした。ですから、私は頼まれもしないのにアグネス論争への参加を買って出たわけです》と、のちにアグネスとの対談で語っていた(『潮』2014年11月号)。
「みんな、もう飽きちゃったんじゃないですか」
ただ、論争が過熱するにしたがい、当のアグネスはどこか他人事のように感じていたことは否めない。1988年の暮れには「アグネス論争」が新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選ばれたが、《ああこれで締めくくりかなって思った。世の中から、ハイこれでおしまいって言われた感じ。(中略)それに、みんな、もう飽きちゃったんじゃないですか。私も、終わりにしたい(笑)》と、どこか投げやりに語っていた(『週刊宝石』1989年2月3日号)。このときには長男はすでに2歳になり、彼女は再び一人で出勤するようになっていた。
アグネスはまた、先に引用した上野をはじめとするフェミニストからの擁護をありがたく思いながらも、10代で入った歌手の世界ではさほど男女の差別を感じなかったためか、当時は《フェミニストの人たちが応援してくれても、もう一つ、ピンとこなかった》と後年明かしている(前掲、『「結婚生活」って何?』)。
しかし、そんな彼女の意識も人生も大きく変える契機が、論争のほとぼりも冷めた1989年、しかも思いがけないところからもたらされることになる。
