その歌は、母が娘のアグネスが歌手になったと親族に知らせるために送ったカセットテープに入っていたもので、子供たちはそれを聴いて懸命に練習してくれたのだ。合唱を聴いて、家に入りきれないぐらい集まった親戚が、別々に暮らす親きょうだいと会えない悲しみからわんわん泣いていたという。

 このとき、アグネスは《「歌はすごいな」って思いました。人間は、国境もあれば憎しみもあって、お互いに、どうやっても入り込めないところがあるけれど、歌はどこにでも入っていける》と気づき、自分がこれまで祖国を離れて日本で歌ってきたのも《歌で国境も体制の違いも超えるんだ、心と心を結ぶために歌うんだ》とその意味がはっきりわかったという(『週刊朝日』2012年2月10日号)。

アグネス・チャンのXより

 ここから彼女は母の故郷である中国でコンサートをやろうと思い立ち、スポンサーを募って回るとともに中国側への説得にも腐心した。翌1985年、30歳になる直前に実現した北京の首都体育館でのコンサートには3回公演で6万人の観客が集まった。事前に拍手は禁止とアナウンスされていたものの、最後は万雷の拍手が送られたという。

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 その直後には日本テレビの『24時間テレビ 愛は地球を救う』で、そのころ飢餓に苦しんでいたエチオピアの子供たちをレポートした。このときの経験は、1998年に日本ユニセフ協会大使に就任し、世界各地で虐げられる子供たちのために活動することへとつながっていく。

マネージャー男性と交際へ発展、突然の“結婚宣言”も

 二人三脚で新たな道を拓いてきたマネージャーは、彼女の北京とエチオピアでの仕事を区切りとして渡辺プロを辞め、再就職した。だが、いざ一緒に仕事をする機会がなくなると、彼もアグネスも寂しさからやがて恋愛感情が芽生え、交際へと発展していく。

 やがて彼がマネージャーを辞めてからもアグネスと会っていることをマスコミに嗅ぎつけられ、急遽、二人は記者会見を開く。このとき彼はまだ結婚まで考えていなかったが、隣で彼女が「結婚を前提に交際をしています」と胸を張ったので、驚いたという。

アグネス・チャンと夫の金子力氏(右)〔1985年10月21日撮影〕

 こうしてアグネスは元マネージャーの金子力氏と婚約する。だが、彼を連れて香港へ家族や親戚へ挨拶に行くと、日本人と結婚することに歴史問題も絡めて猛反対される。これに彼は嫌気が差して突然帰ってしまったという。しかし、彼女は一人になって考え直してみた結果、周りの人の言うことで純粋に結婚しようという気持ちを見失ってはいけないと思いいたる。そこへ彼が戻ってきて「僕は過去の歴史は変えられない。僕は日本人だ。でも、それでもやっていきましょう」と言われ、彼女もよろしくお願いしますとようやく素直に言うことができ、破局の危機を乗り越えたのだった(前掲、『「結婚生活」って何?』)。