12歳で目にした“暴動の記憶”
しかし、アグネスの生い立ちを知れば、話はそう単純ではないとわかる。先述のとおり両親のルーツは中国にあり、共産党と国民党の内戦後に母と離れ離れになった親族は中国のほか、台湾にも散らばっている。さらに彼女のなかでは、12歳だった1967年に起こった香港での反英暴動の記憶も大きい。
彼女の自伝『ツバメの来た道』(中央公論社、1989年)の冒頭では当時の香港の様子が生々しくつづられている。折からの中国での文化大革命にあおられて香港の左派がイギリスによる支配を打破すべく暴動を起こし、イギリス側の軍隊ばかりでなく右派とも闘争を激化させ、大混乱に陥った。アグネスの家の周辺でも衝突が繰り返され、日常生活を脅かされたという。そうした記憶があるだけに、2019年の香港でのデモに対しての「冷静に話し合ってほしい」との発言は、中国政府への忖度などではなく、彼女の心からの願いだったはずだ。
おそらくアグネスは、世の中が変わるには時間がかかると、自身の経験から痛感しているのではないか。それでも一方では、人々がおのおの新しい方法を考えていけば、物事はきっといい方向へと転がっていくと信じているふしがある。実際、「アグネス論争」のさなかに参議院で参考人として呼ばれたときにも、働く女性が自分たちの方法を考えることから始めればいいと提案し、一例として、ある民放の若手女性アナウンサーが同僚と、自分たちが一斉に子供を産めば会社も託児所を設けざるをえなくなると冗談で話し合っていたことを挙げた。当時、一般企業が託児所を設けるなど現実的ではないと多くの人が思っていた。それが30年あまりを経て、やっと珍しいことではなくなっている。
アグネスが抱く目標とは
そんなアグネスが目下実現を目指していることの一つに、昨年(2024年)100歳を迎えた母の人生を自らの手で小説に書きたいという夢がある。これについて彼女は《過去100年間の中国・香港の激動の歴史を、母という一人の女性の人生と重ね合わせて描けると思うんです》と昨年のインタビューで語っていた(『pumpkin』2024年5月号)。
すでに一旦は書き始めたものの、ありのままを赤裸々に書くことへのためらいもあり中断していたという。しかし母が100歳になるのを機に再度取りかかったとか。1世紀にわたる中国・香港の歴史を彼女がどう描くのか興味深い。70代に入ったのを機に、ぜひライフワークとして完結することを祈りたい。

