「身長123センチの大学生」のキャッチコピーで、生まれつきの疾患「2型コラーゲン異常症」の情報発信をする星来さん。低身長のほか、軽度白内障や側弯症といった合併症にも向き合いながら、障害者専門芸能事務所アクセシビューティーマネジメントに所属し、現在はモデル業も行っている。
そんな星来さんに、疾患が発覚した経緯から障害をめぐる社会の変化についてなど、話を聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
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中学生の時にやっと確定診断が…「やっぱりそうだよね、と」
――「2型コラーゲン異常症」をはじめて意識したのは?
星来さん(以下、星来) 物心ついた頃から、自分はみんなより小さいことや、病院に行く必要があることはわかっていました。
生まれた時からの障害ですし、家族もそれを隠そうともしていなかったので、はっきりいつからということはなくて、当たり前のものだった、という感じです。
――生まれつきの疾患ということですが、お母さんの妊娠中から指摘があった?
星来 母親のお腹の中にいる時に、大腿骨、太ももの骨の長さが短いと指摘されて異常が分かったんです。その他にも出生後に、軽い白内障や口腔内に裂け目がある口蓋垂裂といった症状が見られたんですけど、当時の検査では確定診断がおりなかったんですね。
――しばらくは病名がつかないままだった?
星来 そうですね。両親が全国10箇所以上の病院をまわって、2歳の時にやっと、「2型コラーゲン異常症」の中の「先天性脊椎骨端異形成症」に分類されるのでは? と推測をしてもらえたんです。
ただ、それもまだ推測に過ぎなくて、ようやく確定診断がおりたのは中学生の時でした。
――確定診断がおりたときの心境は?
星来 やっぱりそうだよね、と。安心したというのも変ですけど、納得した感じです。
病名がはっきりしなかった赤ちゃんの時、他の子と同じように背が伸びないので、お医者さんからは「母乳が悪いんじゃないか」「ミルクに換えていっぱいカルシウムを入れて飲ませて」と言われたりして、母はつらい思いをしたみたいです。

