そんな風に最初から最後まで描かれた嵩と登美子のすれ違いは、「あんぱん」というドラマの重要なスパイスであり、ともすると嵩とのぶ夫婦の関係よりもドラマティックだったが、物語が戦後に入ってからは、母親の出る場面はほとんど脚色であり、史実ではない。
やなせたかしは母親を恨んでいなかった
実際のやなせたかしは、7歳で母親に置いていかれたが、それをさびしくは感じても母を恨んだり、大人になってから拒絶したりしたことはないと思われる。いくつかある自伝などで、母に対する気持ちを書き残しており、「母」という詩には、こうある。
母はずいぶん悪口を言われた人でした。
「お化粧が濃く派手好きで
自分の子供を捨てて再婚した」
(中略)
僕はちっとも恨んでいなかったのです。
やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)
親戚や近所の人が母を悪く言っても、心の中でけなげに母親の味方をしていたのだという。おそらくやなせは、夫に死なれたという弱い立場である母に同情していたのだろうし、美人で「ぼくにはないじゅうぶんに社交的な華やかな雰囲気を持って」いた彼女にあこがれていたのだろう。「母の美しい眉」「長いまつげ」は、自分に遺伝しなくて残念だったとも書いている(同詩集「感謝」)。
快活で社交的、積極的で、眼の大きい南国美人の面影をもつ母をボクはとても好きでした。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)
母は過去のあやまちを「許してね」と謝った
やなせが母親と疎遠になった時期も特になかったようだ。東京のデザイン学校(東京工芸高等学校)に通っていた頃は、母が再婚して住んでいる家に下宿して学校に通い、戦争時に召集されて命からがら帰国したときも、高知の伯父の家に戻りつつ、実母とも会った。詩「母」はこう結ばれている。
戦争から帰ってきたとき
ぼくは母のひざまくらで
眠りました
熱いものが
落ちてきたので
目をさますと
母の顔がありました
「許してね」
母はひとこといいました