やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)

このくだりは『ボクと、正義と、アンパンマン』にも書かれているので、本当にあったことのようだ。このとき、母が子供を置いて再婚したことを「許してね」と謝ったから、やなせは母を恨まなかった。誰もが、この戦争を生き延びられただけでよかったと思った時代でもあった。

ドラマの登美子は、あくまで謝らない「悪役」

一方、「あんぱん」では羽多子が登美子に、嵩に向かって「許してくれ」と頭を下げて謝るべきだと主張したが、登美子は「私は謝らなきゃならないようなことは一切しておりません」と突っぱねて謝らなかった。そこが史実とドラマの大きな違いだ。

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やなせが母親と家族として暮らした時間は短かった。ただ、だからと言って親子であることを母親が否定したり、やなせの進路などに干渉したりすることはなかったようだ。

登美子はあくまで創作されたキャラクターであり、ばいきんまんのように嵩に憎まれ口を言い、意地悪し続けることでドラマを盛り上げてきた。このあたりは松嶋菜々子主演の「やまとなでしこ」などで、キャラ立ちした人物描写を見せてきた脚本家・中園ミホの真骨頂だ。

やなせは母の晩年については多くを語っていないが、こう書き残している。

母はボクとはちがった姓の墓石の下でいまは眠っています。それは少し淋しいことですが、母は一生けんめい生きたのだからそれでいいと思います。

やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)

ところで、筆者がやなせの著書・インタビュー記事を確認したかぎり、やなせの母とばいきんまんが似ているという記述はない。代わりに、こんな印象的な一節があった。

ドキンちゃんには「母親の面影がある」

アンパンマンをかきはじめたとき
何か不思議ななつかしさをおぼえた
どこがぼくの弟に似ている
ドキンちゃんはなぜか
ぼくの母親の面影があり
性質は妻に似ている

やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)