「解散直前に運営の人たちと進路を相談」近藤さんが思い描いていた自身のセカンドキャリアとは?

――SDN48はデビューから3年くらいで解散になりましたよね。その頃、今後のキャリアについてはどう考えていたのですか。

近藤 解散直前に運営の人たちとそれぞれの進路を相談する時間があったんですが、私は一貫してしゃべりの仕事がしたいと伝えていました。だからこそ、その道で一番強いであろう「セント・フォース」という事務所に入りたい気持ちがあり、ご縁があって今も所属させていただいています。

アイドル時代から一貫して「しゃべり」の仕事がしたかったという(写真=本人提供)

――アイドルのセカンドキャリアについて、難しさを感じることはありますか。

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近藤 私もそうですし、そう感じている人も多いと思います。みんなそれぞれやりたいことやこだわるところがある中で、それでやっていくのってすごく狭き門じゃないですか。

 事務所に入ってお芝居がやりたい人や、私のようにしゃべる仕事がしたいという人もいる一方で、今はスマホさえあればライブ配信や動画コンテンツの発信ができるので、そうやって自分で道を切り拓いて行く人もいます。

――ルートが多様化している分、難しさもありますね。

近藤 みんなそれぞれ模索しながら、フワッとした思いではなく「自分が何をして行くか」という強い思いを持って進んでいかないと、アイドルを辞めてからのセカンドキャリアは築けないんじゃないかなと思います。

「もう地獄ですよ。痔獄(笑)」31歳で結婚・出産→体調を崩してしまい…

――SDN48を卒業後、ご結婚されたのはいつですか。

近藤 31歳の時でした。今は離婚して元夫になりますが、相手はボートレーサーで。知人の誘いでボートレースのイベントに行き、そこで彼が操縦する船にペアで乗せてもらうことになったのがきっかけでした。

――もともと結婚願望はあったのでしょうか。

近藤 いえ、それが全く。でもありがたいことに息子を授かったので、生まれるのを機に結婚しようと。

 

――産後は体調をかなり崩されたのだとか。

近藤 もう最悪でしたね、中でも痔が本当に辛くて。地獄ですよ。痔獄(笑)。抵抗力が落ちてしまって、帯状疱疹にもなり……。