3年間、の約束で羽子田さんが単身中国に渡ったのは1996年、42歳の時。
「以前からハウス食品は米国でカレーレストランを展開していましたが、『米を食べる中国人にはカレーライスは受け入れられるはず』と当時の社長が上海への出店を決めたんです」
日本のお洒落な洋食レストラン「カレーハウス」は、中国人の平均月収800元(1万2000円)の時代に、客単価が42元(630円)。日本の物価で言えば、5000円位の感覚だった! カレーの原材料は全て日本から運び、カツカレー、コロッケカレー、お子様メニューやフルーチェを使ったパフェが人気を博した。
「富裕層だけでなく中間層の中国の人達がお給料をためて来てくれた。中国でもカレーはいけると確信しました」
次は家庭用のバーモントカレーの味の開発に着手。試行錯誤の末、中国人に馴染みのあるカレー粉と同じ黄色にして、味の決め手として中国家庭の台所には必ずある香辛料の“八角(はっかく)”を入れた。
「カレーの味を知らない中国人に商品を買ってもらうにはどうしたらいいか? 販売店での試食を実演する女性販売員さんの養成から始めて、考え付くありとあらゆるPR作戦を実践していきました」
主軸に置いたのは、“小皇帝”と呼ばれる子供達を味方につけること。親子料理教室、工場見学の他、バーモントカレーマンや頭がリンゴで体がみつばちの点点(てんてん)ちゃん等、ゆるキャラも登場させた。
共産党が企業活動を統制している中国でビジネスするには、役人達との折衝が日々、必要不可欠。羽子田さんは柔道五段(講道館)。大量のお酒を飲みつつ、相手の肚(はら)を見る中国の宴席でも、引けを取らなかったそうだが……。
「じつは中国で商売するのに必要なのは、体力より“演技力”(笑)。役人との良好な関係が大切であり、何とかして相手の懐に飛び込んでいくことが重要な任務になります」
赤字続きの時も困難に直面した時も、「味の評価は高かったので、スーパーはもちろん学校や工場などで、10年間に20万回の試食会を実施して、徹底的に食べてもらう作戦を行いました」
努力と忍耐の時期を経て、発売後8年で漸く黒字化、売り上げは10年間で20倍以上に伸び、2013年からは前年比120%で推移している。中国全土、約1万5000店舗で販売され、現地雇用の職員数は500名を突破した。
「3年のはずが中国駐在15年(笑)。驚異的な発展を遂げた中国とカレービジネスは歩みを共にして来ました。西端はチベット、ウルムチまでバーモントカレーは広がりましたが、中国の総人口13億人の一割程度しか、まだ“日本式カレー”を食べていない。中国カレービジネスはこれからも伸びますよ」
はねだゆきひで/1954年、東京都生まれ。中央大学経済学部卒業。78年ハウス食品工業(株)に入社。大阪・東京本社で18年間、営業を担当した後、96年カレービジネス起ち上げのため、上海に駐在開始。2009年上海ハウス食品社長、17年ハウス食品(中国)投資公司最高顧問などを経て、18年より現職。
INFORMATION
ハウス食品グループ本社 ホームページ
https://housefoods-group.com/