NHK BS7時15分からの「アンコール枠」で2025年3月末から放送していた「連続テレビ小説」『チョッちゃん』(1987年前期)が10月11日に最終回を迎えた。SNSではいまだに“『チョッちゃん』ロス”を叫ぶ声が止まない。

1987年の本放送当時、『チョッちゃん』の番宣用に配られたポストカード

「飛び道具」を持たないが、何かが違う『チョッちゃん』

  シリーズ放送64年、113作を重ね、もはや文化遺産となりつつある朝ドラのアーカイブを視聴できるとあって、朝ドラの“箱推し”ファンの「アンコール枠」への視聴熱は高い。そんな中、38年前の朝ドラ『チョッちゃん』は「掘り出し物の名作」との呼び声が高い。

  本作はこれといって「飛び道具」を持たない朝ドラと言える。黒柳徹子の母・黒柳朝さんの自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』(1982年/主婦と生活社)を原案としているが、「黒柳徹子の母」という属性はフィーチャーされず、あくまでも朝さんをモデルとしたヒロイン・蝶子(古村比呂)の人生に焦点を当て、彼女の女学校時代から終戦後までの人生を描いている。

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古村比呂さん NHKアーカイブス 放送史より

  北海道・滝川で生まれ育った北山蝶子(古村比呂)が声楽家を目指して上京、ヴァイオリニストの岩崎要(世良公則)と出会い、結婚、出産、子育て、そして戦争を経たおよそ20年の物語。蝶子と、彼女の周りにいる愛すべき人たちを含めた「市井の人々の日常」を描いた群像劇でもある。

「朝ドラフォーマット」そのままの作品なのかと思いきや…

  近い年代の他の朝ドラと比べてみると、『おしん』(1983年)のように時代への強固なカウンターもなく、『澪つくし』(1985年前期)のようにラブストーリーという強いフックもなく、『はね駒』(1986年前期)のように人気アイドルをヒロインに起用し女性新聞記者の草分けというエポックメーカーを題材にしたわけでもない。『チョッちゃん』の内容を深く知らなければ、「地味な朝ドラ」と言われてしまうのかもしれない。

  第1回で、蝶子が滝川の雪道をソリで滑りながら「チョッちゃんが行くわよー!」と、原案書籍のタイトルを叫ぶという、いかにも「朝ドラらしい」シーンがあった。これに気を取られて、てっきり「猪突猛進で明るいヒロインが周囲を巻き込み、みんなを笑顔にしながら成長していく物語」という「朝ドラフォーマット」そのままの作品なのかと一瞬思わされた。ところが、1週、2週と観進めるうちに、その作劇の巧みさに、ぐいぐい引き込まれてしまうのだ。一見、「普通の朝ドラ」。しかし何かが違う。

『チョッちゃん』の作劇は、「居合抜き」のようだ。「速すぎて見えない」ならぬ、「巧すぎて見えない」のだ。優れたプロフェッショナルが「基本」を軽んじることなく、揺るぎない土台と堅牢な骨組みを建てている。そのうえで、一見シンプルでありながら、よくよく目を凝らして見ると驚くほど精緻な意匠をほどこしている。

  最終回まで観終えたうえで序盤の「滝川編」を観返してみると、あらためて洗練された作劇に驚く。通常なら「登場人物の紹介」だけに終始する第1週に、すでにこの作品の技術と哲学がすべて詰まっている。それも、あくまでもさりげなく、なのだ。