2016年8月8日に放映された天皇陛下の「おことば」(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば)は、インターネットで中継され、SNSには様々な反応が書き込まれた。現代の天皇とメディアの関係を、近現代史研究者の辻田真佐憲氏が明治・大正・昭和から考える(出典:「文藝春秋SPECIAL」2017年季刊冬号)。
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150年間の天皇制は、メディアの発展と軌を一にしてきた
近現代の天皇制は、メディアの存在を抜きに語れない。明治天皇の崩御は新聞で知らされ、大正天皇の大喪儀はラジオで中継され、昭和天皇の病状はテレビで逐一伝えられた。近く起こりうる今上天皇の生前退位にあっては、インターネットが大きな役割を果たすにちがいない。事実、2016年8月8日の「お気持ち」表明はインターネットで中継され、ツイッターなどのSNSにおいて様々な反応がリアルタイムで見られた。この約150年間の天皇制は、メディアの発展と軌を一にしてきたのである。
そのなかで、天皇とメディアが似た形で結びつき、ときに世論や社会に大きな影響を与えたことは見逃せない。天皇の崩御前後に発生する過度の自粛ムード、天皇の権威を利用して気に入らない相手を吊るし上げる不敬事件、そして天皇の肉声によって社会の雰囲気を一変させる玉音放送などがその事例だ。今後のネット社会においても、同じような社会現象が起こる蓋然性(がいぜんせい)は低くない。そのときになって振り回されないため、われわれはあらかじめ「メディア天皇制」の様々な事例を知っておき、落ち着いて天皇について考える準備をしておく必要がある。
3度繰り返された自粛ムード
その手始めに、天皇崩御とそれに伴う自粛ムードを取り上げたい。これは天皇とメディアが結びついたもっとも典型的なイベントであり、明治、大正、昭和の末期すべてにおいて見られた現象である。
明治天皇の場合から見ていこう。明治天皇は大酒飲みで、ひさしく糖尿病を患っていたが、1910年ころより体力の低下が目立ちはじめた。そして1912年7月20日、ついに深刻な事態に陥り、病状が官報号外「天皇陛下御違例」でおおやけにされた。その記述はかなり具体的である。
「19日午後より、御精神少しく恍惚の御状態にて御脳症あらせられ、御尿量頓に甚しく減少、蛋白質著しく増加」「今朝御体温39度6分、御脈108至、御呼吸32回」(カタカナをひらがなに直し、句読点などを補った。以下引用箇所同じ)
これ以降、天皇の病状は悪化し続けた。30日の崩御まで、官報号外は「天皇陛下御容体」として連日「拝診」の時間や「御体温」「御脈」「御呼吸」の数値を伝えた。また、体調や治療の様子も、「時々瓦斯の排泄あらせらる」(21日付)「御舌は甚しく乾燥且つ暗褐色の苔を呈す」(25日付)「『カンフル』及食塩水の皮下注射を差上げた」(28日付)などと詳しく公開した。
新聞報道もこれに従い、国民に歌舞音曲の自粛を呼びかけた。様々な催し物が中止され、宮城近くを走る路面電車は、騒音がうるさく天皇の療養の邪魔になりかねないということで徐行運転に切り替えられた。二重橋前には天皇の快癒を祈る国民が集まり、祈祷(きとう)師が大声をあげて警察官に制止される騒ぎまで発生した。
同様の動きは全国各地で見られた。自粛が報道され、さらに次の自粛を引き起こす。天皇の病状をめぐって、一種のメディア現象が起こったのである。これは、日本の歴史ではじめてのことであった。