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悪用された不敬事件

 次に、不敬事件を取り上げる。不敬事件とは、天皇をはじめとする皇族や、伊勢神宮、皇陵などに対し、不敬な行為があったとして刑事事件や社会問題に発展したものを指す。

 不敬事件ほど、天皇の権威を掲げて、気に入らない相手の吊るし上げに悪用されたものはない。その多くは、政敵を追い落としたり、メディアを脅迫したり、公共的ではない目的で行われた。しかも、肝心の不敬行為自体が捏造(ねつぞう)だったことさえ少なくなかった。

 その一例として、尾崎行雄の共和演説事件を取り上げよう。

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皇居・宮内庁 ©時事通信社

 1898年6月、日本初の政党内閣である第1次大隈重信内閣が成立した。板垣退助を内務大臣に擁する、いわゆる隈板内閣である。これに対し、議会無視の超然主義を唱える山県有朋やその官僚勢力は危機感を覚え、なんとか倒閣に持ち込もうと機会をうかがっていた。

 折も折の8月22日、文部大臣の尾崎行雄が帝国教育会の茶話会で、米国の共和制に言及した。

「日本に於ては共和政治を行ふ気遣はない。例へ1000万年を経るも共和政治を行ふと云ふことはないが、説明の便利の為に、日本に仮に共和政治ありと云ふ夢を見たと仮定せられよ。恐らく三井三菱は大統領の候補者になるであらう」(26日公開の速記録)

 どう読んでも、財閥による政治壟断(ろうだん)や金権政治を危惧する内容だ。特に問題になるものではない。ところが、これに山県に近い「東京日日新聞」や「京華日報」などのメディアが噛み付いた。尾崎が天皇制を廃止し、共和制導入を主張したというのである。速記録が公開されても、それは改竄(かいざん)されたものだといって、「不臣」「乱臣」「不敬」などと攻撃の手を緩めなかった。

 尾崎はかなり限定をつけたうえで共和制に言及している。山県系メディアの攻撃は、さすがに無理筋だった。世論も尾崎に同情的だった。

 ところが、ここに与党・憲政党内の派閥対立が影響した。憲政党は大隈の進歩党と板垣の自由党が合同した政党だが、この両派の関係は必ずしも良好ではなかった。そのため、旧自由党系は文部大臣のポストを得ようとして、旧進歩党系の尾崎を罷免(ひめん)せんと画策しはじめたのである。

 こうして混乱は大きくなり、宮中の介入などもあって、尾崎は10月24日に辞表を提出せざるをえなくなった。その後、後任の文部大臣をめぐって旧進歩党系と旧自由党系が激しく対立し、憲政党は分裂。第1次大隈内閣は同月31日に瓦解した。捏造された不敬事件は、日本最初の政党内閣を倒してしまったのである(以上、小股憲明『明治期における不敬事件の研究』参照)。

不敬事件は、明治時代だけで200件以上に上る

 こうした事件は枚挙に遑(いとま)がない。1887年11月、文部大臣の森有礼が伊勢神宮を参拝したおり、内宮に土足で昇殿し、御帳をステッキで掲げて中を覗き込んだなどと批判された事件もそうだ。これは、森の欧化主義を嫌う伊勢神宮の神官が、意図的に流したデマだったといわれる。だが、森はこれが原因で1889年2月に山口県士族の西野文太郎に暗殺されてしまった。

 あるいは、1918年8月に「大阪朝日新聞」が、寺内正毅内閣を批判した記事で「白虹日を貫けり」(内乱の前兆とされる)という文言を使い、不敬だとして批判された事件(白虹事件)もあげられる。これは、反政府的な「大阪朝日新聞」を取り締まろうと、内務省が機会をうかがっていたところに起きた事件だった。単なる揚げ足取りだったのだが、右翼だけではなく、同業他社までここぞとばかりに「大阪朝日新聞」を批判した。その結果、同社社長の村山龍平は暴漢に襲われたうえ、10月に辞任を余儀なくされてしまった。

 こうした不敬事件は、明治時代だけで200件以上に上るという(小股前掲書)。実際に不敬な行為があったかどうかは問題ではなく、そう騒ぐことによって、気に入らない相手を吊るし上げることこそが重要だったのである。

 現在では不敬罪は存在しない。だが、皇室に対する国民の信頼は厚く、「菊タブー」もまだまだ根強い。それを逆手に取って、「あいつは天皇を誹謗(ひぼう)した」と決めつけて、相手の社会的な信頼を損なわせることも不可能ではない。

ご結婚満70年を迎えられた当時の三笠宮同妃両殿下 宮内庁提供

 2016年10月27日三笠宮崇仁親王が薨去(こうきょ)したとき、マスコミの多くが「薨去」ではなく「ご逝去」などと表現したとして、インターネット上の一部で批判の声があがった。ネット上のマスコミ叩きは日常茶飯事でその多くは取るに足りないものだが、そこに不敬が悪用されたのである。

 いまのところ幸い大きな騒ぎにはなっていないが、今後はどうなるかわからない。不敬悪用の危険性はいまだ消え去っていない。メディアが吠え立て、世論がこれに呼応したとき、われわれは冷静に対処できるだろうか。いまから考えておいても無駄ではない。