昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2018/08/23

玉音の威力

 最後に、終戦の玉音放送を取り上げたい。いうまでもなく、1945年8月15日正午にラジオで放送された「終戦の詔書」のことだ。昭和天皇は前日に宮城内で録音を終えており、当日は内幸町の放送会館でレコード盤が再生された。この玉音放送により、日本は大きな混乱もなく終戦を迎えることができた。

 なぜ玉音はここまで大きな力を持ちえたのだろうか。昭和天皇のカリスマ性もあっただろう。ただ、そこには長いメディア政策によって演出された威力があったことも指摘しなければならない。

「終戦の詔書」原本 ©時事通信社

 実は、昭和天皇の肉声がラジオに流れたのは終戦時がはじめてではない。1928年12月2日、代々木練兵場で行われた大礼観兵式において、昭和天皇は陸軍軍人に対して短い勅語を直接下賜(かし)した。このとき、日本放送協会は、場内三箇所にマイクロフォンを設置し、全国に実況中継を行っていた。玉音を放送するつもりはなかったのだが、昭和天皇が肉声を発したとき、偶然にもマイクがそれを拾ってしまったのである。

 図らずも玉音を耳にしたラジオ聴取者からの評判は上々だった。ところが、宮内省はこの放送事故を問題視。その意向を受けた逓信省は、ただちに放送関係者に対して今後の玉音放送を厳禁した。この結果、式典などで天皇が勅語を下賜する場合、実況中継の音声は必ずカットされた。ラジオの聴取者は、無音によって天皇の存在を認識したのである。こうして玉音は、式典に直接参加しない限り絶対に聴くことができない特別なものへと変化した。

 そのため、終戦の玉音放送は格別の意味を持った。これまで厳禁され、封印されてきた天皇の肉声が、再びラジオに流れたからだ。重要なのは、「天皇が国民をどのように説得したかという詔書の内容」ではなく、「天皇のナマの声がラジオで放送されたという事実」だった(竹山昭子『玉音放送』)。実際、電波の状態が悪く、詔書の文体も難しかったため、多くのひとびとは玉音放送の内容を理解できなかったといわれる。

 このように、放送事故によって生じた玉音放送の厳禁が、玉音の神秘性を必要以上に高め、皮肉にも、終戦時の玉音放送の効果を最大限に高めることとなったのである。

 ところで、2016年8月に今上天皇はビデオで「お気持ち」の表明を行ったが、この放送は平成の玉音放送と呼ばれることがある。この表明のあと、生前退位に関する国民の支持は大きく広がり、政府も対応を迫られた。結果的に、玉音の威力を改めて見せつける形になった(ちなみに、今上天皇は東日本大震災直後にもビデオメッセージを発している)。

象徴としてのお務めについて、おことばを述べられる明仁天皇 宮内庁提供

 もっとも、昭和天皇の玉音放送と今上天皇のそれは意味合いが異なる。今上天皇の肉声は別に珍しいものではない。いまや玉音自体に特別な効果は認めにくい。

 むしろ、平成の玉音放送の威力は、その内容にこそ求められる。あのビデオを観たとき、多くのひとびとは驚いたはずだ。「日本の皇室が(中略)いきいきとして社会に内在」「天皇の終焉」など、今上天皇でなければ書けない、率直かつ新鮮な言葉づかいが目立ったからである。SNS上でもこれらの言葉に対して大きな反響があった。また、巷間検討されていた摂政の任命について敢えて否定的に言及した点も、かなり大胆な試みだった。