平成の玉音放送は、昭和の玉音放送と正反対
今上天皇は、これまで国事行為を忠実にこなし、用意されたメッセージを読み上げてきたように見受けられる。だからこそ、自らの意向を強く打ち出した今回の「お気持ち」表明は、大きな印象を与えることになった。あの今上天皇がここまで率直に発言するのか。こうした驚きが、国民と政府を動かしたわけだ。
この点で、平成の玉音放送は、昭和の玉音放送とは正反対だ。昭和の玉音放送は、玉音の内容よりも放送の事実が重要だった。これに対し、平成の玉音放送は、放送の事実よりも玉音の内容が重要だった。
その一方で、両者には共通点もある。それは、天皇が国民に対して異例のメッセージを発すると、世論や社会を大きく動かす力を持ちうるということである。現行の憲法下では、これは必ずしも望ましいことではない。「個人として」「私の気持ち」という言葉から滲(にじ)むように、立憲体制を重んじる今上天皇にとっては苦渋の決断だったものと推測される。
おそらく将来においても天皇のメッセージは、うまくアレンジすれば相応の影響力を持ち続けるだろう。だが、いうまでもなく、今後はこのような玉音の威力に頼ることなく、主権者である国民自身が、重要な決定をくだせるようになるべきだ。今回のような形での玉音利用は、これで最後であって欲しいものである。
天皇制もネット時代に入った
明治天皇は、1905年に「みな人の見るにひぶみに世の中のあとなしごとは書かずもあらなむ」と詠んだ。近代メディアをはじめて取り上げた御製だ。「みなが読む新聞には、世の中の根拠なき風説は書かないで欲しいものだ」くらいの意味になる。
だが、明治天皇の意向に反し、メディアはどうしても大袈裟なことや、根拠なきことを書いてしまう。しかも天皇に関してしばしばその傾向が見受けられた。残念ながら、それがこの約150年の歴史だった。
メディアから「あとなしごと」をなくすのは難しい。であれば、読み手であるわれわれが、メディア・リテラシーを身に付けなければならない。天皇の悪用に何度も惑わされるのはさすがに能がない。天皇にまつわる様々なメディア・イベントの事例を知っておけば、「またこのパターンか」「とすれば次はこうなるのでは」と考えられるはずだ。
近年、ネットでは粗暴なコミュニケーションがはびこり、日々「炎上」騒動が発生している。ネット時代の前途は多難だ。そこに天皇の権威や影響力が悪用されれば、大きく社会を揺るがしかねない。その荒波のなかで溺れないために、「メディア天皇制」の事例は心のどこかに留めておきたいものである。
つじた・まさのり 1984年生まれ。近現代史研究者。大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業。主な関心テーマは、政治と文化芸術の関係。著書に『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書)など。最新刊に『空気の検閲』(光文社新書)。