秋津と“雨”の闘争史
実際に、過去に何度か濡れずに移動できる連絡通路を設けようという動きもあったらしい。ただ、連絡通路ができてしまうと商店街を通る人がいなくなる。結果、商店街の反対などもあって連絡通路は実現していない。
けれど、町行く人を見ていれば、特に不便だと感じているわけでもなさそうだ。もちろん雨降るラッシュ時には憂鬱な気分にもなりそうだが、殺伐としたターミナルの乗り換えではなく、賑やかで庶民的な町の中を抜けてゆく乗り換えも悪くない。
2000年頃には商店街が約300本の傘を用意して、移動の際にご自由にお使いくださいというサービスをしたこともあった。ただ、半年ほどで傘は1本もなくなってしまったとか。
有料ではなく無料のサービス、というのが悪かったのかどうなのか。傘の貸し出しサービスは結局廃止されてしまった。
そんなこんなで、いまも秋津駅と新秋津駅を結ぶ商店街は人波が絶えない。開業当時は畑や雑木林が広がっていた一帯も、すっかり住宅地に生まれ変わっている。
JR武蔵野線と西武池袋線の間には、貨物輸送のための連絡線が設けられている。秋津神社の脇をトンネルで抜ける線路だ。
かつては秩父の石灰石輸送などで使われ、現在ではもっぱら鉄道車両の輸送用。将来的には臨時列車の運行も計画されているらしい。
活気溢れる商店街と、直通運転も計画される連絡線。ふたつの駅が隣り合う秋津の町は、まだまだ見えないポテンシャルを秘めているのかもしれない。
撮影=鼠入昌史
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