僕は没頭に人一倍時間をかけることで、7年分のハンデを埋めました。人よりうんとたくさんの本を読み、作品に触れ、人と会い、思考し、思考し、思考し……それで勝ち取ったベストセラーです。運もあったでしょうが、やはり積み重ねた膨大な準備がものを言いました。
でも、下の息子が生まれて嫁が仕事に復帰し、相応の家事を僕も分担することになると、そんなことはもう絶対にできないと悟りました。ああ、こりゃ駄目だ。満足に準備ができない。だから戦えないなって。
文化系は個人戦
部下とか会社の若い奴なんかを見ていて、つくづく思ったんですよ。もう自分は、彼らほど何かに没入する時間を確保することができないんだと。つまり僕はもう、子供がいない人たちみたいには戦えない。
この点は、フリーランスで文筆業をやられている稲田さん(注:筆者)にも聞きたいんですよ。編集者がクリエイターだとは言いませんが、それに近い職業、作品を生み出すタイプの職業って、仕事に生き方が直接反映されるじゃないですか。プライベートと仕事に本質的なオン・オフがない。日々の生活の中で誰かと話すこと、観ること、読むこと、すべてが作品づくりに直結していますよね。
それが子育てで途切れてしまう。この恐怖感。むしろ稲田さんのほうが、その切迫感は強いんじゃないですか? インプットの時間が思うように取れないのは、文筆業という商売上、すごく不利になりませんか?
僕は自分のことを、いわゆる文化系男子だと自認していますが、結局のところ文化系って、ずっと「個人戦」をやってきたんですよ。チーム戦じゃなくて。文化系という人種は今までの人生、基本的にひとりでコンテンツをこつこつと摂取してきたじゃないですか。極論すれば、自分の人生の時間をどれだけコンテンツに捧げてきたかによって、今の自分の地位がある。
僕は会社員なので組織の一員ですが、書籍編集者の業務は完全に個人戦です。戦いそのものが個人なのはもちろん、戦うための準備も個人でやる。孤独に粛々と、本を読み、人と会い、考え、動く。ずっとひとり。チームの仕事なら、不足分をほかの人にカバーしてもらえますが、個人戦だとそうはいきません。
だから、文化系と呼ばれる人たちから「子育てとは」と問われれば、インプットやアウトプットの質や量が下がるという意味においてはやっぱりハンデだし、「リスクだ」と答えるしかありません。仕事上のメリットはあまりない、と言わざるを得ない。
子供がいて、育児にもちゃんとコミットしていて、でも文化系としてインプットもちゃんとできていて、個人戦をガンガンやってる人なんているでしょうか? 僕は20年以上の会社人生の中で、そんな人は見たことがありません。
有り体に言えば、仕事か家庭のどちらかを犠牲にするしかないんです。出版社社員の離婚率が高いのも納得がいきます。まじめに仕事をすればするほど離婚に近づくんですから。
実は僕も、2年前から妻子と別居しています。