栗田将さん(仮名、43歳)は大手出版社で書籍編集者として働いている。一見すると控えめなタイプだが、10万部を超えるヒット本を何冊も世に出してきた、いわゆる「できる編集者」だ。
2人の息子の父親でもある栗田さんが語ったのは、編集者にとって「子育てはハンデ」だという衝撃の本音だった。30代のときほどバリバリ働けなくなり、妻とはすれ違うようになってしまった。そんな栗田さんが出した結論は?
男性の育児参加が推進され、共働きの家庭が当たり前の時代。仕事と家庭のバランスに悩む父親も増えているはずだが、そんな父親の苦悩は母親の苦悩ほど語られる機会がない。なかなか表に出ることのない父親の“言い分”とは、どのようなものだろうか。
ここでは、15人の中年男性が“子供を持つこと”について赤裸々に語った『ぼくたち、親になる』(太田出版)から一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/続きを読む)
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正社員じゃないと一人前じゃない
嫁とは、共通の友人を介した飲み会で知り合いました。当時の彼女は埼玉県の実家住まいで、栄養士として実家のある市内の保育園に勤務していたんです。
実は彼女、高校でまったく勉強についていけず、2年生のときに中退したという過去があります。中学までは学年トップクラスの優等生だったものの、その高校が県下有数の進学校で、どんなに勉強しても「下1割」から抜け出せない。それで心が折れてしまったそうです。中退後は家族の勧めで大検を受けて合格し、短大の栄養学科に進んで栄養士の資格を取りました。
飲み会後、僕らは交際が始まり、都内に引っ越して同棲をスタート。嫁は埼玉の保育園に通うのが大変になってしまったので、結婚を機にすぱっと仕事を辞めました。彼女自身の意思です。
嫁は自己肯定感の低い人間でした。交際当初の口癖は「私は人生ドロップアウト組」「昔の友達には恥ずかしくて会えない」。聞けば、高校時代の同級生の大半が、名のある大学から名のある企業に就職しているとのこと。高校の進路指導は「最低でもMARCH」が合言葉だったそうです。
そんな人と、僕はなぜ結婚したか。僕はもともと、人生にはうねりと変化があるものだと思っているんです。ジェットコースターみたいなもので、今は谷底にいても、いずれは必ず上がってくる。僕だって30歳を前にして編集者になれました。それに、同じジェットコースターでも、一緒に乗っている人数が多いほうが楽しいじゃないですか。
結婚後、ごく自然に子供を作りました。ふたりとも昔ながらの考え方だったので、「結婚したら子供を作るもの」という発想になんの疑念も抱いていなかったんです。
