「もう一生、笑うことはないんやろな」
和馬は1994年に生まれた。父伸と母由理が結婚してから8年目である。目のくりっとしたかわいい子で、周りから「モデルになれるんと違う?」と言われた。伸は「真に受けて、写真館のモデル募集に応募したんですが、あきませんでした」と言う。
和馬の体が普通ではないと最初に気付いたのは幼稚園の先生だった。つかんだ物を簡単に落とす。他の子と違い、立ち上がるときに体を手で支える。病院の検査でデュシェンヌ型筋ジストロフィーと診断された。筋肉の機能に不可欠なたんぱく質の設計図となる遺伝子が変異し、徐々に運動機能が衰える。かつては二十歳前後に亡くなるとされた難病だ。伸は病気を知ったころを回想する。
「どないしたらええんかと途方にくれました。誰にも相談できひんし、和馬を寝かせた後、毎晩夫婦で泣いていました」
母の由理も「もう一生、笑うことはないんやろな」と思った。
寿子によると、難病の子を持った家族の反応はさまざまだ。結束する家族がいる一方、受け止められずにばらばらになるケースもある。この家族はまさに「結束」型だった。
夫婦は毎晩、話し合い、出した答えが、家族で歩く「旅」の実行だった。伸が説明する。
「家の中におったら落ち込んでしまいます。だから、和馬が歩けるうちに、同じ方向を見て、歩こうと思ったんです」
休日を利用し、阪急電鉄・烏丸(京都)から数駅ごとに、三宮(現・神戸三宮)を目指す。スタートは2000年7月1日、和馬は幼稚園の年長だった。生まれて間もない妹真綾はベビーカーに乗っている。
烏丸駅周辺は伸のホームグラウンドで、古くから知っている店も多い。
「懐かしいわ。久しぶりやのに、変わってへんわ」
和馬が言う。
「パパ、楽しそうやね」
京都の街が家族を元気づける。初日は約30分かけて、隣の大宮駅まで歩いた。ゆっくりでも、一駅ずつでも、あきらめずに歩き続ければ、必ず三宮駅にたどり着ける。伸は思った。
「遠い将来を見るのではなく、目の前にある時間を存分に楽しもう」
