「これはヤバイ。将棋観がぶち壊されました」
伊藤は飛車取りに金を上げ、駒の取り合いに。伊藤が飛車を取る間に、藤井は香と角を取る。
盤上には藤井の8八のと金が残されている。当然と金を払うだろうが、飛車を捕獲されてまずいのではないか。どういうことなのか? と控室が混乱する。やがて、伊藤の手は8八のと金ではなく、自分の駒台に伸びた。
▲8四桂! なんと、と金を無視して銀取りに桂を打ったのだ。ここで手抜き? 終盤は金の価値が高いはずなのに。王手で金を取られるよ?
いくら終盤は駒の損得よりも速度と言っても、金をタダで取らせるなんてあり得るの? 皆「ひええ」「ひええ」と叫んでいる。
そして△7八と▲同玉の局面を眺め、皆なるほどと理解した。金は取られても玉が安定しているし、藤井陣に桂が刺さっているので飛車を取りにいく余裕がない。休憩で戻ってきた藤井猛も「すごみのある手だねえ。相手に読み切られた、と思ってしまうよね」と感心した。
とはいえ、金を取ってから次を考えようよ、などと話していると、△7三銀! なんと金を取らなかった。再び「ひええ」と声が上がる。
長年タイトル戦の立会人を務めている青野すらも、「お互いに取らないって見たことがない。すごいですね」と言えば、飯島は「これはヤバイ。将棋観がぶち壊されました。終盤は金の価値が高いという、今までのセオリーって間違っていたんですか……」「これすごくないですか?」と得意のセリフを呆れ返った口調でつぶやいた。
青野も飯島も藤井猛も山田も、皆感動している
しかし、まだ驚きは終わらない。藤井も伊藤も、と金の存在を忘れたかのように指し進める。飛車を打ち、ブルラッシュを続ける伊藤。藤井は底歩で飛車の利きを遮り、角頭を守る金が持ち場を離れて自玉の応援に駆けつける。と金を取るのに1手をかけたくない伊藤。敵玉を安定させたくない藤井。
とはいえ、伊藤は王手で銀を打ち込み、さらに金頭を歩で叩いてラッシュを続ける。と金放置の上、銀まで渡してのノーガードの攻めだ。
第4局のときに私は「いいなあ、AIにはない、この突っ張り合いが。人間同士の戦いだからこそだ」と述べたが、個性が出せるのは中盤までだ。終盤の、それも1手違いの寄せ合いは、文学ではなく数学だ。理詰めの世界だ。
なのに感情を盤面で表現できるとは。「金を差し上げますよ。その間に寄せ切るから」「そんな金は取れないよ。ガードを固めてカウンターを狙うから」と指し手が語っている。
青野も飯島も藤井猛も山田も、皆感動している。飯島は何度「これすごくないですか」と言っただろう。私も現地で皆と感動を共有できて良かった。
藤井は桂で王手し、香の王手で銀を動かしてから、ようやくと金で金を取った。10手以上もと金が盤上に残ったことになる。ここで手番は伊藤に。
ここまでアクセル全開だったのだから寄せに出るかと思いきや、伊藤は銀を上げて自陣に手を入れる。なんと、ここで受けに回るのか? いや、ここで受ける手を指せるのか。いくら受け将棋でも危なすぎないか。
チャンスが来たのではと控室が色めき立つ。藤井は左桂を跳ね、自陣の角と桂がようやく働いた。伊藤は竜を二段目(詰めろ)ではなく下段に入った。藤井は桂で銀を取るが、ここでも伊藤は慌てて王手をかけずに成桂を取る。
なんという落ち着いた手順か。藤井は詰めろをかけるが、角道を止める▲3三歩が詰めろ逃れの詰めろの決め手となった。
写真=勝又清和
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