自衛隊員たちの涙ぐましい勇姿を激写
確かに、300キロ近い鉄製の箱罠を設置したり回収したりするのは、少人数のしかも高齢の猟友会員だけでは困難である。
しかし、その光景には涙が誘われた。それは、木銃を構えた自衛隊員の周囲に猟銃を所持した民間ハンターが控えているという、信じられない光景であった。
クマという危険に立ち向かうのは、猟銃だろうが木銃だろうが危険に違いないが、民間人のほうが殺傷力の高い猟銃を所持している。こんなあべこべはどう見てもおかしいではないか。
確かに、野生動物の生態や大自然の中での環境知識や地理感覚に関しては、いくら優秀な警察官や自衛隊員でも、今日明日ハンターから学んだだけではすぐに効果を出せないだろう。しかし、警察にしろ自衛隊にしろ部隊にもよるが、普段から銃の扱いに慣れ、いかなる環境下でも適切に扱えるよう訓練を続けているのである。
しかも皆、猟友会員よりはるかに若い。予算と命令と時間さえあれば、瞬く間に充分な装備と人員を備え、国民の期待する結果を出すはずである。
一方で、民間人の銃所持の厳格化は必要だろう。実際、猟銃を使用した事件や事故のたびに銃所持の条件や所持許可銃の制限は厳しくなっている。最近ではDV(家庭内暴力)やストーキングを行ったり、自殺の恐れがある者も銃所持の欠格事由に加わった。
繰り返し言うが、アメリカのような「銃社会」がいいというのではない。しかし日本人は「銃」や「狩猟」に対し、あまりにアレルギーが強すぎるのではないか。偏見と言えるほどである。もう少し「銃」に対する危険性や利便性を理解し、そのうえで「狩猟」に親しむ機会を与えられてもいいのではないか。
いざというとき使えなければ意味がない
所詮、人間は大自然の猛威を前にしたら無力で無知である。自らを亡ぼしかねない核兵器を造れても、地震すら予知できない。現在の日本のようにクマが次々人を襲い、コロナ禍のように外も出歩けない日がまた来ると想像することもできなかった。
それでも近い将来、災いはまた必ずやってくる。戦災は避けることができても天災はそうもいかぬ。それに備えることならできる。しかし、いくら備えがあってもいざというときに使えないと意味がない。
11月30日をもって、クマ被害に対する自治体、猟友会への自衛隊による後方支援活動は終了した。だが、近い将来、またクマ被害が爆発的に増えるかもしれないのである。
そのような事態になっても慌てぬよう、国民や自衛隊員の安全を守るためにも、官民協力して法整備を急ぎ、装備を整えておくべきではないか。
撮影=宮嶋茂樹
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