――たとえば日本女子ゴルフ界でも、大会期間を3日間から4日間に増やしたり、コースを難しくしたりするなどして国際基準にシフトすると、海外で活躍する選手がぐんと増えましたよね。

伊達 ジュニアの頃は急に成長する時期でもあるので、環境が整備されていないと伸びるものも伸びない。だから日本で出場できる国際ジュニア大会の重要性を感じたのです。100位以内にいる日本人女子は大坂なおみ選手くらい。寂しいじゃないですか。

――育成だけでなく環境整備もやると。

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伊達 日本人女子がベスト10に入るためには何が必要なのか、課題を一つ一つ抽出し、それをどのようにしてクリアしていくか、そのためにはどこを動かし、誰の協力を得なければならないのか、と日々思案しています。

 

伊達公子はなぜ世界トッププレイヤーになれた?

――では、なぜ伊達さんは、テニス環境が今ほど整っていなかった時代に、シュテフィ・グラフやコンチタ・マルティネス、アランチャ・サンチェスらと張り合い、世界ランク4位にまでなれたんでしょうか?

伊達 うーん、どうしてだったんだろう……。情報がない時代だったのが良かったのかな。他に日本人選手もいないから突き進むことしかできなかった。情報がないと、逃げ道を探す術もないじゃないですか。今は、10代でもすぐにネットで「自分はこのくらいのレベルなんだ」とわかってしまう。その中で頑張るのは根気がいるんじゃないでしょうか。

――伊達さんは海外遠征にも一人で行かれていましたね。

伊達 若い頃は、時には一人で世界を転戦していました。当時はパソコンもなかったので、日本を離れると大会スケジュールに合わせて飛行機を手配し、ホテルの予約も自分で。

一度目の現役時代の伊達公子さん ©文藝春秋

 しかも和食以外は口にしたくなかったので、お米と炊飯器を抱えて各国を移動していました(笑)。後半は、コーチやフィジカルトレーナーやマッサージの方に同行してもらっていましたが。

 まあ、負けず嫌いではありました。でも、シュテフィ・グラフやモニカ・セレスなどに比べたら、私なんて赤子みたいなものです。彼女たちの負けん気は怖かった(笑)。

37歳で現役復帰した理由は…

――でも、37歳で復帰したセカンドキャリア時代は楽しそうでした。

伊達 復帰の大きな理由は、女子テニス界の底上げが目的だったんです。世界で活躍する日本女子選手がいなくなったので、コートに復帰した私を踏み台にして世界に行って欲しかったんです。噛ませ犬のつもりというか。