八雲の怒りは父親の係累すべてに及んでおり、八雲が名を上げてから盛んに手紙を送ってくるようになった異母妹たちにも「敵の片割れ」と憤慨しているほどだった。一方で、母への思慕は歳を重ねるほどに増していたのだろう。

「痛み」を通じてのみ感じられる、母の存在

八雲が生涯求め続けたもの。それは単に「母」という個人ではなく、母が体現していた世界観そのものだった。

正教の世界では、死者は消え去るのではない。生者のそばにいて、祈りを受け取り、守護する存在として生き続ける。聖人たちは遠い天上の存在ではなく、日常の中で名を呼ばれ、頼られる身近な存在だ。

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そして、イコンは、聖なる世界とこの世界を繋ぐ「窓」の役割を果たす。西洋絵画のように「こちら側から向こうを覗く」のではなく、向こう側からこちらを見ているように描かれ、そこから常にまなざしを向けていることを伝えている。これは、カトリックの制度的な聖性とも、近代プロテスタントが強めてきた合理的信仰観とも異なる、もっと直接的で情緒的な世界である。

八雲にとって母は、顔も思い出せないほど僅かな記憶にしかない。だから八雲は、幾度もこんな思い出を語っていたという。

「私幼いの時、一日大層悪戯しました。ママさん立腹で私の頬を撃ちました。その時ママさんの顔をよくよく見ました。大きい黒い眼の日本人のような小さい女でした。痛さのため、ママさんの顔覚えました」

だが、八雲は母の顔を覚えてなどいなかった。「よくよく見ました」「覚えました」と繰り返し語りながら、実際には何一つ思い出せない。覚えているのは「痛さ」だけ。その痛みを通じてのみ、母の存在を感じ取ることができる。

“ギリシャの魂”を日本で感じたか

八雲が親族に母の写真を執拗に求めたのも、この理由だった。顔が分からない。確かにそこにいたはずの母が、記憶の中で像を結ばない。だから写真という物質的な証拠が、どうしても必要だった。

しかし同時に、八雲が感じ取っていたものがある。それは、自分は足を踏み入れることのできないギリシャの魂の部分だった。顔は思い出せなくても、母が語って聞かせたであろう物語の構造。死者が生者のもとを訪れる世界。聖人が見守る世界。イコンを通じて聖なるものが現前する世界……その感覚だけは、確かに八雲の内側にあった。